超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

ユルゲン・バリーサヴィチ・ボルクはヘーゲルである〜U-17 W杯準決勝ドイツvs日本に見るドイツ観念論〜

初めに断りをさせてください。

本稿の筆者である私は、ドイツ観念論ならびに西洋哲学に関する専門知識は持ち合わせてはいません。深く学習した経歴もありません。一般的な知識をもとに調べた範囲で、新テニスの王子様との類似性を覚えた部分について述べていると思っていただければ幸甚です。

 

 

『新テニスの王子様』28〜35巻で描かれたU-17 W杯 準決勝ドイツvs日本を読み、この団体戦ドイツ観念論と縁が深いのではないかと考えた次第である。

 

以下、いささか散文的ではあるが、U-17 W杯 準決勝ドイツvs日本(以下、準決勝ドイツ戦)の中で、ドイツ観念論の用語や人物を思わせる部分を記述したい。

 

 

今から述べる内容を要約すると、大筋で以下3点となる。

『能力共鳴』(ハウリング)止揚(アウフヘーベン)である

 

ユルゲン・バリーサヴィチ・ボルクにゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770-1831)を見る

 

QPイマヌエル・カント(1724-1804)を見る

 

 

『新テニスの王子様17Golden age164共鳴から出てくる『能力共鳴(ハウリング)』が、ヘーゲル弁証法で唱えられるアウフヘーベン止揚)に理論構造が似ているように見える。

『能力共鳴(ハウリング)』は、作中の言葉を使うと、互いの能力(スキル)が惹かれ合い””新たな超能力(スキル)が生まれた技の名称である。

 

オルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(以下、「ヘーゲル」)は、ドイツ観念論を完成させたと言われるドイツの哲学者であり、彼の唱えた理論でとりわけ有名なのは、ヘーゲル弁証法ではないだろうか。

 

ハウリングは、ヘーゲル弁証法を想起させる仕組みではないだろうか。

 

前述の通り、『能力共鳴(ハウリング)』とはスキル同士が惹かれ合って新しい超スキルを生むのは、ドイツ観念論ヘーゲル弁証法でいうところの、定立(テーゼ)・反定立(アンチテーゼ)止揚(アウフヘーベン)の関係だろう。

具体的な例で示すと、Golden age294で登場したデューク渡邊とLカミュ・ド・シャルパンティエハウリングである『創造(シェプフング)』は、簡単に図にすると、

     合(『創造』)

      ↑

(『破壊』)(『愛』)

と、上記のようになる。

 

なお、ヘーゲル弁証法について、解説書によっては「同一性と差異性の移行だ」と書く書籍や、「統一のうちに対立を見、対立のうちに統一を見出そうとする、矛盾を恐れぬ方法」とする書籍もある。

『能力共鳴(ハウリング)』が起きるスキル同士が補完関係になかったとしても、同一と非同一の関係にあり、移行した結果が能力共鳴(ハウリング)で発現した能力(スキル)と見ることができるだろう。

 

ハウリングの中でも互いのスキルが共鳴し合ったのではないミハエル・ビスマルクとエルマー・ジークフリートハウリング『存在境界(ザイングレンツェ)』は、ヘーゲル弁証法で言うところの絶対知へ上昇するプロセスに近いだろう。

 

このハウリングアウフヘーベンの類似構造に着目した時、ドイツ代表のユルゲン・バリーサヴィチ・ボルク(以下、「ボルク」。本エントリー内では「ボルク」と表記した場合は、ユルゲン・バリーサヴィチ・ボルクを指すこととする。ベルティ・B・ボルクに言及する際は、別途その旨を記すこととする。)はヘーゲルであり、原作漫画2835巻で描かれたU-17W杯準決勝ドイツvs日本戦はドイツ観念論の完成だとは読めないだろうか。

 

ボルクは、Golden age164で作中最初のハウリング『第六感(ゼクステジン)』が発現した際、それがハウリングであると指摘しているうえ、準決勝ドイツ戦までに作中に登場した5つのハウリング、『第六感(ゼクステジン)』、『衛星視点(サテリートゥパスペクティー)』、『創造(シェプフング)』、『存在境界(ザイングレンツェ)』、『無限の竜巻(ウンエントリヒヴィントホーゼ)』は、全てボルクが解説に絡んでいる。

 

つまり、ボルクはハウリングを理解する立場として存在しているとも言えないか。

 

さらに、ボルクがW杯準決勝の日本戦S1で一人『能力共鳴』(ハウリング)を成し遂げたその業はアウフヘーベンの体現とも呼べるだろう。

 

ユルゲン・バリーサヴィチ・ボルクの二つ名は勝利への哲学者"である。

また、23.5巻で公開されたプロフィールでは、好きな本にドイツ観念論に関係する人物であるヨーハン・ゴトリーブ・フィヒテの著書である『全知識学の基礎』をあげている。

 

新テニGolden age352の中で、ボルクの対戦相手である平等院は「テメェだけで【能力共鳴(ハウリング)】なんて誰が考えるかよ」と言うが、これもボルクが哲学者と言われる姿を引き立てて見えてくる。

ボルクが哲学者で在るにあたり、ヘーゲルよりも前にドイツ観念論に登場するフィヒテを好んで読むと捉えれば西洋哲学史の時系列的に納得する部分もあろう。

 

さらに、ヘーゲルがその著書『精神現象学』で提唱した動的な精神を、人間の精神は拡張していくことができる、とすると、ボルクがハウリング1人でも発動できるところに結びついてくるのではないか。

 

ハウリングの『存在境界』については、ヘーゲルが若い頃に存在論を展開していたことに紐づき、また、異なる2つの存在を極限まで同調させるスキルという意味で、その直後の試合にボルク(ヘーゲル)が1人ハウリング(アウフヘーベン)に到達する前段階であったとも見えよう。

『存在境界』とは、パートナーの動き・思考、息づかいまでもがシンクロし、次にどう動くのかお互い手に取る様に分かってしまう『同調(シンクロ)』が生み出す、相手が不利になる状態を作り出す『擬似気配』を発動するハウリングだ。

 

 

このように、ハウリングを起点にボルクとヘーゲルとの親和性を考えた時に、ふと、もしかするとドイツ代表のQPイマヌエル・カント(以下、「カント」)なのではないだろうかとの考えがよぎった。

 

QPGolden age281で『矜持の光(シュトルツシュトラール)』の精神派生3種【愛しさの輝き】【切なさの輝き】【心強さの輝き】を体感し吸収してテニスの神になるが、カントの唱えた有名な言説の一つには、神の存在論的証明批判があるだろう。

 

これを、3種の精神派生である愛しさと切なさと心強さの輝き(『天衣無縫の極み』)を吸収して究極の品質に到達する(テニスの神になる)のを、純粋理性批判実践理性批判判断力批判の三批判書から成るカント批判哲学と準えたい。

また、QPを導いた監督ケン・レンドールは、宗教改革という教会、すなわち、権威であり、ここの新テニのストーリーでいえばドイツテニスアカデミーへの反逆を起こした人物として、カントから始まるドイツ観念論の論壇に宗教改革が影響を与えたことも想われよう。

 

前述したQPが「僕はテニスの神にな」ったところにカントの神の存在論的証明批判を見たことについてだが、これは、選手(プレイヤー)がテニスの神になれるとした発想がカントの啓蒙思想の体現だったのではと考えたからである。

 つまり、神の後見に頼らない人間理性による自然界の理解を、『矜持の光』に依らないプレイヤー自身の成長による強化だと、読んだ。

 

カントの啓蒙主義が、主体は人間の側にあると認識したのを、テニスの王子様では、テニスにはプレイヤーが主体として関わっていると言えるだろう。

 

それはまるで、ミュージカル新テニスの王子様The First Stageの楽曲『テニスの子』の歌詞「俺がテニスを選んだのか テニスが俺を選んだのか」に対して、俺がテニスを選んでいるのだ、と宣言するように。

 

ここからさらに、準決勝ドイツvs日本の全5戦をドイツ観念論として読めるのではないかとも考える。

準決勝ドイツ戦は 第1試合がカントから始まり最終第5試合がヘーゲルで決着する。

準決勝ドイツ戦は全てS3QPvs鬼を以って成立するように見えるのである。

 

QPが『矜持の光』の全ての精神派生を吸収してレベルアップしたことは、『矜持の光』の別呼称『天衣無縫の極み』に到達した無印テニプリからのコペルニクス的転回になっているのではないだろうか。 

 

新テニではプレイヤーがテニスに依存するのではなくテニスがプレイヤーに依存するというコペルニクス的転回だ。

 

この初戦S3でのコペルニクス的転回により、テニスの客観性が確立したことで、テニスは普遍的となり、プレイヤーによって見えるテニスの側面が変わる。

プレイヤー固有のスキルの発現とスキルバトルへの展開がスムーズになるのである。

 

U-17 W杯準決勝ドイツvs日本のS3は、『テニスの王子様』『新テニスの王子様』のパラダイムシフトだとも言えるのではないか。

 

第三試合S2手塚vs幸村がジャンプSQ.に掲載が始まった20205月号のコンテンツページの作者コメントで「テニプリ人生の集大成♪」と原作者の許斐剛が書いたことも、準決勝ドイツ戦が丸ごと無印テニプリの最終到達地点だった天衣無縫の極みを反駁し、その先に進む団体戦だったと捉えると、全五試合のちょうど真ん中にあたるS2は、まさしく無印テニプリの集大成だと言えるだろう。

 

S2手塚vs幸村は、S3QPvs鬼を踏まえ、矜持の光はキャンセルされうるものとして扱われる。

加えて、手塚国光の『手塚ゾーン』と『手塚ファントム』を一つにした『至高のゾーン(アルティメットゾーン)』や、幸村精市の『五感剥奪(イップス)』が「未来を奪う」になったように、スキルの拡張を示唆があり、一人だけで能力共鳴を生じさせるS1ボルクvs平等院に繋がる展開が入ってくる。 

 

S2の手塚vs幸村は、"テニスに選ばれる"みたいな発想の転換点であった。

 

S2の幸村が切原赤也の「湿気った導火線にも火を着けた」のは、プレイヤー主体のテニスの認識の世界を証明してみせたからであり、 ボルクがD1ジークフリートに「お前がやるべき事は」「『矜持の光』になる事ではない」と叱咤したのが劣勢打開の突破口になるのも、D1S1が天衣無縫の極みを超えた先の世界だからと言えないだろうか。

 

第一試合のS3QPが鬼と対戦してカントの啓蒙主義を思わせるプレイヤーの主体のテニスへとコペルニクス的転回を見せたことが、テニプリシリーズを通したテニスとテニスプレイヤーとの認識の転換点となり、第二試合D2以降のスキルバトルへの展開をスムーズにし、最終第五試合S1ボルクvs平等院での1人ハウリングアウフヘーベンへと続くようになったと、読みたいのである。

 

 

以下、なお、余談となるが、切原赤也が自身の中に眠る『悪魔』と『天使』を飼い慣らして青い瞳の切原赤也となったのも、同一性と差異性の移行を止揚させたアウフヘーベンであったと見ることができ、その次元の高次の能力を開花させられたから相手ペアのハウリングに互角で対抗できた、つまり、ハウリングと同次元の能力が開花したから『存在境界』を解除させられたのかもしれない。

また、『存在境界』を初めとしたドイツ代表チームが発現させる能力がドイツ観念論に結びつく部分は、ドイツ代表チームは勝利への哲学者ユルゲン・バリーサヴィチ・ボルク主将が集めたチームである印象を強めるように思う。

 

ヘーゲル弁証法において、ヘーゲルは世界とは無秩序混沌とした状態であって落ち着いている境地であるとした、との見方もあるようで、これは、新テニで現れる有象無象の個々の『能力(スキル)』をボルクが一人ハウリングとして統括する境地に達したと見えよう。

 

能力の開花と他者との共鳴、個人のエンカレッジと他者との共働、このはたらきが無限に繰り返される中で人類社会が発展していくと、『新テニスの王子様』はストーリーとして描いているのかもしれない。

 

 

以上、

自らの考えを支持する部分を拾って裏付けているに過ぎない側面が大きいが、こんな読み方もできるということで、ご笑覧いただくことができたのであれば、幸いである。

追記『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』雑記 〜世界を敵に回しても譲れないものとは何だろうか

今までTwitterで感想や考えたことを書いてきたけれども、字数制限が無いブログでも『リョーマ!The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』について書いておこうと思う。

 

 

Twitterでツイートしたことは下記の2つのエントリーにまとめている。

(※どちらもページの読み込みに物凄く時間がかかります。)

namimashimashi-tpot-373.hatenablog.jp

 

namimashimashi-tpot-373.hatenablog.jp

なお、以下『リョーマ!The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』は"映画リョーマ!"と表記する。

 

 

映画リョーマ!から感じた"テニスの王子様らしさ"の所以と、主題歌『世界を敵に回しても』で歌われる「世界を敵に回しても守るべきもの全て」「世界を敵に回しても譲れないもの」とは何のことを指していたのか、引いては、映画リョーマ!が語るメッセージについて考えたい。

 

世界を敵に回しても守るべきものとは一体何で、サムライ南次郎はどうしてそんなに強いのか。

「強くなりたい?そんな曖昧な答えなら「まだまだだぜ」」ならば、どんな答えが認められるのだろうか。

そんなことに考えを巡らせた雑記である。

 

 

自分は、一人の人間が一瞬のヒーローになる物語を目撃するのが好きだ。

エメラルドは「お前なんて親父でも何でもねぇ」と吐き捨てた自身の父親を相手に、エメラルドにしかできない仕事をやり、リョーマを助け、リョーマのヒーローになっているし、ウルフは放送室をジャックして会場にアダムアンダーソンの八百長試合内訳を流す一役を買っているし、ブー&フーはVIP室のセキュリティに成り代わっている。

皆自分の領域で誰かには欠かせない役割を担っている。

越前リョーマは確かにテニスの力で自ら勝って道を切り開いたかもしれないが、「八百長試合を止めさせる」のはリョーマ一人では出来なかったことだ。

エメラルド、ウルフ、ブー、フーがいたから本丸にたどりつくことが出来た。

 

映画リョーマ!では自分の出自への前向きなエネルギーを見ることもできる。

自分を自分で肯定して誇ること。

主題歌『世界を敵に回しても』の歌詞にある「俺の心の中にあるプライド あなたが教えた宝物」のように、先達から受け取ったものをポジティブに捉えて日々を生きる推進力にしていく。

これは、原作漫画『テニスの王子様』の最終決戦でラストに出てくる「テニスって楽しいじゃん」〜天衣無縫の極みの扉を開く試合で語られるメッセージに近いのではないだろうか。

というのも、ミュージカル テニスの王子様3rd season全国大会青学vs立海後編のパンフレットに掲載された越前南次郎役/オリジナル演出・脚色・振付 上島雪夫氏の言葉にその思いの一端を見るのである。

そのメッセージは下記の通り(一部省略)。

「先を生きた大人たちや先輩たちの想いを引き継いで、でも自分らしく生きていくって大事なことだよな、って。心のどこかで、あんたたちの想いは受け取ってるからね!って。たまに思い出させてもらってるよ、って。(中略)なぁ、リョーマ!」

 

跡部景吾手塚国光に電話BOXから電話がつながるのはちょうど映画の中間地点にあたるが、そこから道が拓けていき、世界が広がっていく。

物語ラストのカタルシスまでの高揚感を盛り立ててくれる。

八百長試合を仕掛けたアダム・アンダーソンにベイカー親子と越前リョーマが迫るシーンも「っていうか真剣勝負ができないなんて面白くないじゃん」「そうだテニスは真剣勝負だから面白いし価値がある」テニスが面白いこと、それに価値があること

アダムを許さないと直接攻めるのは取引相手のベイカー父であり、子世代でテニスをするリョーマとエメラルドはテニスは真剣勝負で面白くなる。そのことに価値がある。その価値を邪魔するなと主張する。

だからリョーマはヴォーンだった勝つ可能性がゼロじゃないじゃんと言ったりする。

真剣勝負で戦うからこそ勝利と敗北に価値がある。

越前リョーマはアダム・アンダーソンを物理的には追い詰めるが、言葉ではアダム個人を責めるのではなく、テニスを楽しむ世界を邪魔するなと主張している。

リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』が「テニスって楽しいじゃん」を皆が戦ってきた答えとした漫画『テニスの王子様』の続編であることが窺える。

 

また、自分がこの映画リョーマ!のストーリーで興味深いと感じているのは、越前リョーマの困難を切り開く力になるのは、今までにリョーマがテニスで共に戦ってきた仲間やテニスコートで対峙したライバル達になっているところだ。

越前リョーマに対して、身近な人(親父や桜乃)はリョーマに闘って勝てとは言わないし、南次郎や桜乃と一緒にいる内はリョーマ自身も「逃げ切ろう」と考えている。

でも本来の目的は逃げ切ることではない。八百長試合を止めさせることだ。

逃げ切れば八百長試合は成立しないが、八百長試合を止めさせるのには逃げるだけが手段ではない。

相手の姿を捉えているから闘って勝つ方法がある。

そこに目を向けさせるのは、リョーマを闘いの場に向かわせるのは、仲間でありライバル達だ。

それが電話BOXで現代に電話が繋がるところである。

「あの試合を思い出せ!」青学のランキング戦から始まり、全国大会決勝までのその全ての試合が、戦ってきた軌跡と出会いと経験が越前リョーマに戦う自信をつけて、背中を押しにくる。

越前リョーマに勝って来いと言うのは部長とライバルの声だ。

 

結果論では、現役南次郎の言う事が現代越前リョーマにとって有効に働いていないのである。

現役選手のサムライ南次郎にとっては、現代リョーマが庇護対象に近くてリョーマを戦わせる気が最初から無い。 

サムライ南次郎は現代リョーマに「逃げろ」と指示をし、「彼女を守れるのか」とちょっと脅しもする。

とはいえ、これはある種当たり前と言えば当たり前で、あの時点でサムライ南次郎は現代リョーマのテニスの技量を知らないし、もしも目の前の少年リョーマが自分の子どもの未来の姿だと気がついていればまだ幼い我が子と重なり慎重にもなるし、そもそも自分が世界で一番強いと思ってるので自分が守ってやれる自負も自信もある。

 

ただ、結果的に越前リョーマの道を切り開いた選択肢は、エメラルドと対峙して勝負して勝つことだったし、この選択肢に導いたのは南次郎でもましてや桜乃でもなくて、今までに戦ってきた仲間とライバルとの電話だった。 

現代の越前リョーマにはリョーマ自身がこれまでの人生を歩いてきた道に活路があった。

現代リョーマはもう守られる対象から自分の力で道を切り開いて行く力があるようになっていた。

映画の最後で南次郎に勝負を挑んで「アンタに勝ちたい」と面と向かって言うのは、父親南次郎の庇護下から出ていく象徴でもあるだろう。

これが「映画リョーマ!は貴種流離譚の話である」と言われている所以であろうと考える。

外に向かっていく気持ちを奮い立たせるのはDecide編の仲間とGlory編のライバル達になっている。

"守るべき者"ではなくて"守るべきもの全て"が俺を強くさせる。

愛する世界を愛し続ける為に戦う。

だから世界を敵に回してもは越前リョーマ1人ではなく、多くのキャラクターが歌う。

冒頭のDear Prince〜テニスの王子様達へ〜と同じように。

 

「世界を敵に回しても 守るべきもの全てが 俺をまた強く強くさせる」のは、これもまた全てのテニスの王子様達1人1人のことでもあるだろう。

守るべきものは時として自らの足かせとなるだろう。

人質に取られるような存在など居なければ、そもそも弱みなど掴まれない。

この葛藤は、義を見てせざるは勇なきなりを座右の銘と掲げて戦う徳川カズヤと、それを哀れな自己犠牲の末路と切って捨てる平等院鳳凰が待ち受ける『新テニスの王子様』へと続く。

 

自己犠牲を捧げずに強くなれるか。

試合に勝つのは勝ちたいと思うのは誰かの為なのだろうか。

手塚国光が自らの腕を捧げたのは誰かの為だったか。

平等院鳳凰が生命を懸けるのは誰かの為なのか。

全ての思いを背負うことで勝利したプロへの道を進む手塚国光がいる一方で、自分が勝ちたいから勝ちたい切原赤也にも勝利の道を用意するのが新テニスの王子様の世界だ。

「強くなりたい?そんな曖昧な答えなら「まだまだだぜ」」は、自分は何故強くなりたいのか。

強くなった先に何を掴みたいのか。

そんな各王子様のその強くなりたい理由が研ぎ澄まされていく様が描かれる新テニスの王子様に繋がる先人からの問い掛けだ。


越前リョーマは何を求めて強くなりたいのだろうか。

「世界一のテニス選手になるんはワイやぁーっ!!」と世界大会のコート上で宣言できるか。

デッケー夢を見ているだろうか。


コートでは孤独で戦うのが、テニスというスポーツだ。

 
現役のプロトッププレーヤーで下記の記事に記されるようなやり取りも起こる。
Coaching on every point should be allowed in tennis. The sport needs to embrace it. We’re probably one of the only global sports that doesn’t use coaching during the play. Make it legal. It's about time the sport takes a big step forward.— Stefanos Tsitsipas (@steftsitsipas) 2021年7月18日
 

その孤独なコートで戦う自分を鼓舞するものは何かを問いかけるのが映画リョーマ!の主題なのではないかと思う。

 

越前リョーマ以外の視点で映画リョーマ!を考えてみる。

越前リョーマの立場から見ると映画リョーマ!は、”八百長試合がそのまま行われてサムライ南次郎が引退を選択する”というバッドエンドを回避しただけで、一番の目的だった「親父の引退を阻止する」は結局は達成出来なかったどころか、もしかすると自分がその親父の引退の片棒を担いだまである終わり方に見えかねない。

しかし、越前南次郎サイドで考えてみると、もしかしてそんな悲観的な引退でもなく、息子たちの中に可能性を見出してそれを鍛えることが、南次郎自身がこれからもテニスって楽しいじゃんと思い続ける為に必要だった選択だったのかもしれない。
越前南次郎の価値観で語れば、自分がテニスの試合で勝ち続けることよりも息子たちの可能性を鍛えることの方がデッケー夢になったのではないか。
 
もちろん現代からやってきた未来の息子らしき少年の越前リョーマがサムライ南次郎を駆り立てた部分も大いにあろう。
「世界には強いヤツなんてゴロゴロいるんだ 例えば俺を引退に追い込んだやつとかな」は、もしかして越前南次郎自身の現役時代のサムライ南次郎自身のことを指していたと考えてみてはどうだろうか。
この台詞はどうも不思議で、”俺を引退に追い込んだやつ”を越前リョーマのことだと仮定すると、南次郎はリョーマが戦うことのできないリョーマ自身を例に出して世界を見るように焚き付けているし、サムライ南次郎から最後にポイントを取ったのは映画リョーマ!の限りでは現代リョーマなので引退に追い込んだのは越前リョーマ本人なのではないかと考えるとも取れるだろう。
そうなった時に、この台詞は何か特定の人物について話しているのではなく、目の前の親父を倒したい思いで強くなりたい越前リョーマを日本の外へ、世界へ、連れ出す為に言ったことだとすれば。
 
サムライ南次郎は自宅に勝手に入っていた現代リョーマ竜崎桜乃に向かって「誰だ?お前ら」と言った直後にはリョーマを見つめて「もしかしてお前、俺のファンか」と言っている。
仮に、越前南次郎が少年越前リョーマがサムライ南次郎に正面から「アンタに勝ちたい」と勝負を挑んできた少年だった可能性がよぎっていたとすると、「世界には強いヤツなんてゴロゴロいるんだ」は、サムライ南次郎vs越前リョーマが試合する可能性にかけて息子リョーマアメリカに送り出す口実だったとの取れやしないだろうか。
そうなると、キッカケはあれど、他でもない越前南次郎自身が引退を決めた。
引退に追い込んだのは、デッケー夢を見続けたい当時のサムライ南次郎自身だったと考えてみることもできるかもしれない。
 
少し横道に逸れることになるが、ここで越前南次郎の息子リョーマの教育方針を考える。
越前南次郎は、中学生になった息子越前リョーマがさらに強くなるためには、父親南次郎を倒したい以外で燃え立たせることだと考えていた。(『テニスの王子様』Genius43強さへの芽生え)
テニスの王子様』の緑山中戦で、越前リョーマと同じような環境持ちの季楽靖幸との対戦と並行して越前季楽の両父が子供にテニスをやらせることについて話すシーンがある。
ここを読むと、越前南次郎も息子リョーマのテニスへの情熱を焚きつける役割は担っていない点においては泰造と一緒だと思う。
越前リョーマを燃え立たせたのは手塚であり青学だ。
南次郎は”青学へやって正解だった”と自分の役割ではない自覚があっただけだ。
越前南次郎の功績は早々に息子の目標を『打倒親父』から、これから共に強くなっていく息子の同世代に目を向けさせようと選択したところだと見ている。
未来の存在は未来の存在に託した判断である。
 
映画リョーマ!でサムライ南次郎を見ると、現代の父親越前南次郎は、現役時代に比べてかなり指導者然りとなっている。
自分自身が勝利することではなく、越前リョーマを鍛えることに自分の力を使うことにしている。
これは、もしかして映画リョーマ!の現役時代に、リョーマを庇護対象として取扱ったことの反省から自分の手から離すことを考えたのでは?とも思っている。
 
そしてこの広い世界に少年を旅立たせる選択は、「世界は広いぞ」で強くなる『新テニスの王子様』に繋がっていく。
 
テニプリ新テニ一貫した強さの法則は「世界は広い」だ。
身内、学校、地域、国など、15歳位ではともすれば世界の全てになってしまいがちな世界の外へ飛び出すこと、挑戦すること、今よりも一歩広い世界を知りに行くこと、そうして王子様達は強くなっていくのがテニプリ新テニの一つの価値観。
『新テニスの王子様』は世界を知ってる平等院鳳凰が日本代表No.1だ。
日本一の次は世界一だ。
テニスの王子様』で日本一を奪取した次は世界一を目指して戦っていく。
「世界は広いぞ」と体感で言えるのがNo.1なのは、世界獲りを目指す少年漫画において説得力がある。
 
また、映画オリジナルキャラクターのエメラルドについても考えたい。
サムライ南次郎の八百長試合を止めさせた世界では、エメラルドがテニスをしなくなることを考えたが、それが好きなテニスを好きでい続ける為のエメラルドの選択だったと捉えてはどうだろうか。
エメラルドもサムライ南次郎と同様に、テニスを嫌いにならないために、好きで居続けるための選択の先にモデル業があった。
エメラルドは本来のプレイスタイルでは公式戦には出られない。
日の目を浴びない自分の得意なスタイルのテニスを封印してテニスをプレーし続けることではなくて、テニスを好きで居続けるために。
エメラルド・ベイカーの価値観では、テニスを最前線でプレイすることよりも自らの容姿を魅せていくことの方がゾクゾクすることが出来たのかもしれない。
 
映画リョーマ!は、南次郎とエメラルドを通した終わりの物語の側面がある。
そして、今までとはまた違う方法でテニスと付き合っていく始まりでもある。 
 
 
かなりメタ的で力技的な纏め方になってしまうが、"テニスをすること"よりも"テニスって楽しいじゃんを忘れないこと"が大切で、好きだと思うことを好きで居続ける為に自らの意志で選び取った未来は、他人の反応や期待や批判があっても誇らしいものだということかもしれない。
 
誇らしい未来を選択させるのは今までの自分の生きてきた日々だ。
 
これをテニスの王子様の言葉で語ると、それが「今の自分を誇れるか誇れないか、それだけだぜ」(Glory編 跡部景吾の台詞)であり、「テニスを思い出せ」(Decide編 手塚国光の台詞)ということだ。
 
 
サムライ南次郎の強さの秘密が「大人になったら分かる」「(お前たちがもっと)大きくなったら教えてやる」のも、大きくなる、すなわち成長して歳を取ることで生きる日々が積み重なっていくからなのではないか。
あるいは、大きくなるをビックになる有名になると捉えると、自分が大きくなる過程で経験したことや出会った人々が背中を押してくれる可能性が増える、有名になってもテニスを楽しいと思い続けることができる、それが"強さの秘密"なのではないか。
 

多分、「世界を敵に回しても守るべきもの全てが俺を強くさせる」のも「世界を敵に回しても譲れないものがある」のも、「世界を敵に回しても守るべき"者"」ではないのが、映画リョーマ!が少年漫画のセオリーを踏襲するストーリーであるところだと思う。
 
愛するものが愛するものであり続けるために。世界を敵に回しても今日も戦う。

『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』自分のTwitterツイートまとめ〈後編〉

2021年9月3日(金)公開リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』の溢れかえるTwitterツイート感想をまとめるエントリーの後編。

 

前編では公開3週目の2021年9月19日時点までのツイートをまとめていた。

この後編では10月16日0:36時点までのツイートをまとめる。

 

↓〈前編〉は下記リンク先からご参照ください↓

namimashimashi-tpot-373.hatenablog.jp

 
テニプリセルフオマージュ

 

ロゴマーク

 

劇中音楽

 

色の使い方

 

登場人物/キャラクター

 

ストーリー全体

※1

※1『テニスの王子様』Genius378最終決戦!王子様VS神の子⑧にて越前南次郎が話す「天衣無縫なんてもんは誰もが持ってるもんだぜ (中略) いつしか どいつもこいつもあん時の心を忘れちまう 世界に行っても ほとんどの奴がそうだったからな―」

 

ストーリーの余白

 

タイムスリップとサムライドライブのテニスボール

 

細部

「Takeshi Cono Mi」の言葉遊びに読めるのでは?と思った次第。

 

テニフェスpetit

 

エメラルドvsリョーマの試合展開

※2

※2これは、ミュージカル『テニスの王子様』初代越前リョーマ役を務めた柳浩太郎氏の下記のツイートを受けたツイート

 

以上。

 

好きを好きでい続ける為に闘う日々のまばゆさ。

この前向きなパワーこそ、私がテニスの王子様に心底惚れた真髄であり、何度でも帰ってくる所以だと改めて。

 

世界を敵に回しても (アニメ「新テニスの王子様」)

世界を敵に回しても (アニメ「新テニスの王子様」)

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『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』自分のTwitterツイートまとめ〈前編〉

2021年9月3日(金)公開テニスの王子様シリーズ実に10年ぶりの新作映画『リョーマ! The Prince of Tennis 新生劇場版テニスの王子様』について、Twitterでツイートしている感想雑感のまとめと追加をしたくなったので、自身のリョーマ!関連ツイートを貼りつつ補足しながらブログの投稿にしたい。

 

なお、

 

と、上記のような心境のため、何せ量が多い。

ひとまずは9月19日(日)14:30段階までの分をまとめる。

 

以下、早速始めよう。

 

とにかく感想

私が最初に鑑賞したのは2021年9月5日(日)である。

 

 

この"柳さんの注目ポイント"というのは、2021年9月11日(土)11:20〜開催された公開記念舞台挨拶&全国同時生中継 第二弾 でお話しされた内容のことである。


www.youtube.com

※実際にフリップトークで話された内容の動画・記事が見つけられないため、上記リンクにて。見つかり次第、差し替えます。(2021.9.19)

 

 

 

 

とにかく話したいことが溢れ出てくるのである。

 

視聴者層について

 

公開時期について

 

越前南次郎と倫子について

 

 

 

 

劇中歌について

 

 

 

 

映画オリジナルキャラクターについて

 

 

 

 

 

 

<Decide>と<Glory>について

 

fusetterの内容は以下の通り。

リョーマ!のGloryでリョーマに会わせたかった人物って白石じゃなくて金太郎で、跡部と金太郎がDecide版の手塚と幸村に呼応するようになってる人選だったんだと思っている。」

 

 

 

 

 

 

越前リョーガについて

 

 

 

 

 

 

テニフェスpetitについて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竜崎桜乃の動きについて

 

ストーリー全体について

 

 

 

 

 

そして、平等院鳳凰について

fusetterの内容は以下の通り。

「世界を敵に回しても 譲れないものがある

素敵な仲間と 愛すべき人達(Golden age332 あっけない幕切れ)
そして俺の心の中にある 自尊心(Golden age345 死)
あなたが教えた 宝物(Golden age344 強すぎるが故に)

世界を敵に回しても 守るべきもの全てが
俺をまだ強く強くさせるから(Golden age145 破壊王 〜 Golden age146 黙諾)
時の異邦人だとしても その声援があるなら(Golden age342 タイムループ〜螺旋の洗礼〜 〜 Golden age343 記憶の上書き)
世界をまるごと 変えてしまえ(Golden age339 俺達の願い Golden age345 死)
キミと世界変えよう どこまでも(Golden age273 円陣を囲んで)」

 

 

以上、

2021年9月19日(日)現在で公開はまだもう少し続くし、私の感想もまだまだある。

ひとまず、自分のツイートまとめ前編として。記録まで。

『新テニスの王子様 氷帝vs立海 Game of Future前篇』原作偏差値高過ぎリスト

2021年2月13日(土)に公開された『新テニスの王子様 氷帝vs立海 Game of Future前篇』。

アニメオリジナルストーリーでありながら新テニスの王子様の原作者 許斐剛マッチメイク完全監修の一作である。

視聴して驚いた。

あまりに原作の『テニスの王子様』『新テニスの王子様』そのものに近すぎる。

まるで原作漫画を見ているかのようなシーン、キャラクターの躍動、セリフの数々に感動してしまった。

原作者完全監修は伊達じゃないと思い知った。

それでありながら、これはアニメ表現でなければ出来ないだろう、と思わせるような見せ方をした箇所もあり、テニスの王子様シリーズのアニメ視聴経験の中でもトップクラスに面白かった。

ここは良かったと思わされた箇所を記したくなったので、ブログにまとめることにしました。

 

 

〜以下、内容伏せは一切無く記載していきます〜

 

 

《全体》

まず、Game of Futureと次世代をテーマにしたことが上手い。

氷帝vs立海の試合を組む時にチーム総合力ではどうしても立海が勝ってしまう。

現に2013年9月9日発行 公式ファンブック 新テニスの王子様10.5に掲載されているPlayers' Database内、合宿招集メンバー各校8名の総合評価チャート平均値を採ると、氷帝17.2、立海18.2(どちらも小数点2位以下四捨五入)となる。

総合値にして1程度の開きが出る。

しかし、そんな中でも、氷帝に軍配が上がるとしたら次世代の2年生の数だろう。

立海切原赤也の能力は非常に高いが、テニスの王子様が取り扱うのは団体戦だ。

氷帝には全国を知っている2年生が3人いる。しかも3人だ3人とも全国で試合をしている。この経験を持っているのが1人と3人とでは全然違う。

立海が次世代でも勝つためにはここに手を入れなくてはならない。

でも戦力を落とし過ぎる訳にはいかない。

見込みのある2年生を1人だけダブルス枠で、しかも相方をW杯選抜に選ばれたプレイヤーと組ませて出場させるのが落とし所だ。

そこで、新キャラクター玉川よしおの出番である。

しかも、この玉川よしおに未完の必殺技がある設定にすることで彼がその1人だけ起用される見込みのある2年生であることに説得力を持たせる。

玉川よしおの設定については、様々な媒体で少しずつ公開されているが、原作者許斐剛Twitterで2020年11月4日付けで公開された動画の設定を最新とする。(2020年3月20日付け)

次世代を担う新しいキャラクターを登場させてメインテーマを担わせることで、新しい物語にしつつも、話に無理がなく見せている。

話を次世代に向けるために新しい次世代のキャラクターを登場させる手法は、『テニスの王子様』の最終決戦でも浦山しい太の登場で取り入れていた手法である。(Genius373最終決戦!王子様vs神の子③)

 

《D2 向日岳人・忍足侑士ペアvs丸井ブン太・玉川よしおペア》

多くの視聴者がTwitter等で書いていることだが、忍足・向日ペアの"3人でダブルス"へのリベンジ・マッチになっている。

関東大会 青学vs氷帝D2で3人でダブルスを相手にする忍足・向日ペア。しかも3年生の固定最強ペア+2年生1人の組み合わせと、関東大会初戦の青学D2にそっくりの組み合わせだ。

全国大会初戦のvs椿川では勝利のあるペアではあるが、原作者監修下で勝ち試合が描かれたのも悲願である。

忍足・向日ペアの勝利描写が原作者許斐剛先生のこだわりでもあったことは、2021年4月7日に『新テニスの王子様 氷帝vs立海 Game of Future』Webサイトで公開されたスペシャル座談会第2弾vol.1にて明かされている。

スペシャル座談会 第2弾 | 新テニスの王子様 氷帝vs立海 Game of Future 特設サイト

 

《D1 鳳長太郎樺地崇弘ペアvs真田弦一郎・柳蓮二ペア》

この試合は、尺が短くて正直文量も少なくなってしまうが。

試合後に鳳長太郎に問われる 「満足できたか」のやり取りは、関東大会でも全国大会でも監督の榊太郎と宍戸・鳳ペアが交わすやり取りである。

関東大会でも全国大会でも監督に答えるのは3年生の宍戸であったが、この氷帝vs立海は次世代である2年生の鳳がこの「満足できたか」の問いかけに答える。

これぞ"Game of Future"だ。

 

とはいえ、この試合。欲を言えば、真田弦一郎と柳蓮二にもう少し原作の最新展開を拾う方向が欲しかった、と思ったりもする。

 

《S3 宍戸亮vs柳生比呂士》

試合に勝ったのは宍戸亮、新技で新しい展開を見せたのが柳生比呂士、と魅せ場を分けてどちらにも華を持たせた巧いストーリーの一戦。

新技の展開を見せる役割となった柳生からは新テニスの王子様30巻Golden age295「仁王くん アナタは今… 世界を震撼させていますよ」と体を震わせながら言った柳生比呂士を覚えた。仁王に震撼した柳生の未来だ。

柳生比呂士の新技「リフレクションレーザー」は、レーザービームと同じ速度で別方向に跳ねるショットだと思い込ませることで威力を発揮する。

これは、新テニスの王子様1巻Golden age7苛酷な試練を乗り越えろ にて仁王雅治vs柳生比呂士で柳生が最後に見せた曲がるレーザービームで「紳士(ジェントルマン)が詐欺師(ペテンし)を詐欺(ペテン)に掛けちまったぜ」と言われる。

跳ねる角度打った本人以外はどこに跳ねるか分からない切原赤也のナックルサーブのオマージュっぽさもある。

テニスの王子様公式ファンブック40.5巻P79柳生比呂士のページで豆トリビアを披露する担当が切原赤也であり、「「レーザービーム」って名前からも分かる様に、意外と特撮とかSFとかに萌える人なんスよね〜」と柳生比呂士の絶対的必殺技レーザービームを語らせたことを思い起こさせる。

 

また、宍戸&鳳の向き合っての拳合わせカットは、テニスの王子様15巻Genius131信頼の最終コマでその時に宍戸鳳ペアが試合をしていた相手である乾貞治海堂薫ペアをモチーフにしているであろう。乾が左手、海堂が右手の正面を向いての拳合わせ。

この拳合わせ絵はBEST GAMES!!シリーズでは原作コマ通りには描かれておらず、新テニアニメチームが原作漫画に加えてBEST GAMES!!を踏まえながらGame of Futureを制作したことが伺えた。

 

以上、

 

原作『テニスの王子様』のオマージュのようなシーン、カットの数々に感動した箇所である。

願う事ならばこの『新テニスの王子様 氷帝vs立海 Game of Future』は、許斐剛マッチメイク完全監修なので、是非許斐剛漫画で読んでもみたいものである。

漫画になる際に、とりわけ玉川よしおを漫画でどのように表現するかは非常に気になる。

玉川よしおは、アニメが初めての試合であり、かつ、このGame of Futureのエピソードのために登場したと言っても過言ではないだろうキャラクターに相応しく、アニメだからこそできる見せ方をされている。

丸井からの呼びかけに対する「はい 玉川です」。

この定型やりとりを繰り返す。

これを、その時々の戦況や玉川の心境を抑揚や感情の込め方で違いを出して表現している。

視覚情報しか無い漫画では表現できないキャラクターの見せ方だ。

原作者監修で制作したアニメで初めての見せ場を作るキャラクターである矜持、その利点を最大限に活かしてきた描かれ方と言えるだろう。

彼が許斐剛漫画になった時にどの様に描かれるのか非常に興味がある。

 

《EDテーマ『ONE and ONLY/氷帝エタニティと立海ヤング漢』》

これは『テニスの王子様』ではなく『新テニスの王子様』なのだ。

 

ONE and ONLY 氷帝エタニティと立海ヤング漢 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

サビの歌詞

「どうだい?甘い甘い 夢から醒めた世界

お前はこれで満足かい?

まだ 脆い脆い ガキみたいな正論

強さも優しさも1つじゃない

全てを奪うんだ ONE and ONLYであれ

 

どうだい?甘い甘い 夢から醒めた世界

やるべきことは、ほらなんだ?

もっと高く高くほとばしれ情熱

弱さも厳しさも1つじゃない

その目で見極めろ ONE and ONLYであれ

 

世界を変えちまえ ONE and ONLYであれ」

music.apple.com

 

「テニスって楽しいじゃん」と、皆が戦ってきた一つの答えにたどり着く『テニスの王子様』は、少年漫画の終決として非常に美しい。

だが、その続きの『新テニスの王子様』は各人が自分の武器を探して見つけて成長していく構成が取られている。

強さも 優しさも 弱さも 厳しさも一つじゃないのが、『新テニスの王子様』だ。

テニスの王子様パーフェクトファンブック23.5の「許斐先生が語る!パーフェクトインタビュー」内で「『新テニ』で、特に進化したと感じる中学生キャラは?」の質問に対して「(前略)これまでのテニプリだったら、すぐに上手くいくんですよ。何かをやろう、よし、練習したからできた!っていうのが『テニプリ』。それまでのプロセスをうじうじ書かないのが漫画のコンセプトでもあったんです。でも今回に関しては、そんな簡単には強くなれないよと。時間を掛けた文いい演出を考えているので(後略)」と、『新テニスの王子様』と『テニスの王子様』との描き方の違いを語っている。

 

""テニスの王子様ではなく、"新"テニスの王子様を冠にした『新テニスの王子様 氷帝vs立海』。

2021年4月17日に公開される後篇ではどんな『新テニスの王子様』を見せてくれるのか。恐くもあり、期待もあり、その時を待とう。

《ショー》・マスト・《ゴー・オン》-君島育斗&白石蔵ノ介ペアを考える

※タイトルに脱字があったため、アップロードし直しました。

 

『新テニスの王子様』U-17 W杯 準々決勝 日本vsフランス D2君島育斗&白石蔵ノ介vsトリスタン・バルドー&ティモテ・モローの試合と、楽曲『go on/白石蔵ノ介 』について書きたい。

 

まず第一に、私はこの試合が大好きなのだ。

めちゃくちゃ面白くて好きな試合だ。

 

そもそも君島育斗の試合が面白い。

君島がプレーする試合は、君島育斗の能力(スキル)『交渉』が存分に生かされる試合展開になっている。

交渉が成立すれば君島サイドが勝利し、失敗すると敗北となる。

詳細は割愛するが、W杯前の合宿所での入れ替え戦も『交渉』に沿った試合展開になっている。(参照:『新テニスの王子様』9巻10巻Golden age84〜90)

この君島&白石vsトリスタン&ティモテも、試合途中で『交渉』のテーブルに事前になかった手札:"トリスタン&ティモテが2人とも両利き"を出されて交渉成立のシナリオが崩れる。

 

日本vsフランス戦D2は、ストーリー展開も上手い。

最初はポージング対決の突拍子もなさにゲラゲラと大笑いしてたのが、試合が後半に進むにつれて真剣勝負の試合展開に引き込まれて行き、カミュが「可笑しいねいつの間にか4人共ポージング対決忘れてるよ」と言う頃には読者側も最初のポージング対決を忘れて漫画を読むようになっている。まるで漫画世界と読者心情がリンクするかのような感覚を覚える。

また、決着スコアだけ見ると日本ペアは結構な惨敗であるが、内容の描き方で白石にも君島にも魅せ場がちゃんとあり、さらには白石の成長物語にもなっていて、でもしっかりフランスが勝っているのでフランスの格落ちにもなっていない。

ストーリーの上手さは応援で描かれる人選にも現れており、試合後半Golden age240可笑しなイケメン達においてベンチで切原赤也がヤジを飛ばして、それを遠野篤京に諌められる(殴られてる)が、これは、

・5番コートvs3番コートの総入れ替え戦D2で白石蔵ノ介と切原赤也がペアを組んだこと

遠野篤京と君島育斗がダブルスを組んでいたこと

・U-17W杯大会vsギリシャD1で遠野篤京切原赤也がペアを組んだこと

以上3つを踏まえて成り立つ描写で、ここまでの『新テニスの王子様』で展開された人間関係を綺麗に踏襲している。

 

そして、とりわけ印象的なのが、白石蔵ノ介のキャラソン『go on』の歌詞から引いてきたようなサブタイトルGolden age237 so attack。

『go on/白石蔵ノ介』は、テニプリフェスタ2016合戦テニプリソング1/800曲!の投票で総合4位ソロ部門2位に選ばれている。

2010年4月の発売から支持され続けるテニプリソングの中でも色褪せない名曲の一つだ。

 

本稿のタイトルに用いた"The show must go on."。

この試合は白石蔵ノ介と君島育斗とのペアだ。

この試合の白石のパートナーが種ヶ島ではなく君島だったのは必然だ。

 

審判が試合開始を告げた直後に君島は言う。

「さぁショーの開幕です!」

 

この試合はショーだ。

 

The 「Show」must「go on」.

君島育斗&白石蔵ノ介の組合せだったからこそ導くことができる力強いフレーズが見えてくるのではないだろうか。

 

 

この試合の中で白石が掴み取った『星の聖書』(スターバイブル)も幸村が言うように「ずっと『聖書テニス』に拘り続けた」から辿り着けたものだ。

今までの過去の上にある今日。

ギリシャ戦S3の時のような苦味を残したことも無駄な一日じゃない。

自分の人生(スタイル)を進み続けた先の答えだ。

go onの歌詞に「目指してくその場所は変わることのない一本道」とあるが、星の聖書は、聖書テニスを変わらずに進み続けた先に辿り着いた場所なのだろう。

 

Golden age237。「so attack」。

拳をもう一度握るぎゅっと

まだここじゃ終わらない。終われない。

進み続ける意志を硬く結ぶ一試合だ。

 

私はこの試合が大好きだ。

この試合を読むと前を向く力が湧いてくる。

 

余談だが、「show must go on」は故・ジャニー喜多川氏の座右の銘でもあったし、イギリスの伝説的ロックバンドであるQueenにも『The Show Must Go On』という楽曲がある。このフレーズに込める決意を、力強さを、覚悟を、感じる。

youtu.be

 

最後に、白石蔵ノ介の座右の銘についても触れておきたい。

白石は、今までに公開されたプロフィールで座右の銘が3度変わっている。

その変遷は下記の通り。

 全国大会準決勝後 無印40.5巻 有終の美

 W杯ギリシャ戦後〜フランス戦前 新23.5巻 「…この質問パスしてええか?」

 W杯フランス戦後 テニプリパーティ No man is an island.(和訳:人は一人では生きていけない)

 

終わりを超えて、迷いを経て、その先に踏み出す。

そんな姿が見えてくる。 

 

 

ショー・マスト・ゴー・オン。

何があっても止めない。続けて行こう。

keep it tough

go on 白石蔵ノ介(細谷佳正) 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

そこから 未来を 始めてるんだ。

「ギリシャ戦が面白い」と言いすぎて理由を書くよう勧められたので

ギリシャ戦は面白い。

『Bloddy Dance』/遠野篤京

遠野篤京の「Bloody Dance(アニメ「新テニスの王子様」) - Single」をiTunesで

と『閃きCHAY BOY☆』/種ヶ島修二

種ヶ島修二の「閃きCHAY BOY☆(アニメ「新テニスの王子様」) - Single」をiTunesで

を聞きながら読むともっと面白い。

越知月光のギリシャ戦モチーフ楽曲が2020年9月22日現在で未だ無いのが残念極まりない。

2020年2月20日に『新テニスの王子様 We LoveテニプリCh #15〜平等院・鬼がやってきたSP〜』で平等院鳳凰役:安元洋貴氏と鬼十次郎役:遠藤大智氏がフリートークで「ギリシャ戦は面白いと思いますよ」とniconico生放送の視聴者コメントを拾って会話が続いたくらいには面白い。

なお、平等院も鬼もギリシャ戦には出場していないキャラクターだが、この評価である。

ギリシャ戦は面白いのだ。

 

さて、閑話休題

 

この「ギリシャ戦が面白い」について掘り下げて考えてみた。

 

 

Young Men's Christian AssociationことYMCAは、その正章ならびに略章に「精神(心)spirit」「知性mind」「体body」を掲げ、この3つが調和した全人的な人間を育成するシンボルとしている。(東京YMCA. "YMCAとは". 

https://tokyo.ymca.or.jp/about/ , 広島YMCA. "YMCAのロゴについて".

http://www.hymca.jp/about/logo.html , 鹿児島YMCA. "YMCAについて". 

http://kagoshima-ymca.org/?page_id=41 , (2020-09-22))

注釈)なお、YMCAは2017年10月にロゴとスローガンを新しくしている。詳細は日本YMCA同盟のWebサイトや全国各地のYMCAが発信している情報を参照されたい。

 

 

この「精神(心)spirit」「知性mind」「体body」になぞらえて読むと非常に面白い団体戦が『新テニスの王子様』にある。

18巻&19巻Golden age178〜195のvs ギリシャ戦だ。

 

第1試合〜第3試合まで「精神(心)spirit」「体body」「知性mind」の順に展開される。

以下、各試合を簡単に紐解く。

 

 

・「精神(心)spirit」

第1試合 ダブルス2 タラッタ・ヘラクレス&パパドプーロスエヴァゲロス vs 越知月光&大石秀一郎

最初は『無邪気なしっぽ(アベレース・ケルコス)』と『マッハ』のサーブ合戦に加えて大石の領域(テリトリー)と『蜃気楼は語る(アンディカトプリズモス ディエルケスタイ)』で技の見せ合いで始まる。

その後、試合中盤4-4時にヘラクレスの『オリンポス 白銀の光(レウコンアルギュロスポース)』と越知月光の『精神の暗殺者(メンタルアサシン)』発動から精神面での潰し合い合戦になっていく。

キーポイントは、敵にも味方にも精神的重圧をかける越知月光の『精神の暗殺者』への対応だ。ヘラクレスの『オリンポス 白銀の光』は精神攻撃系ではなく、自らの身体能力を覚醒させる技である。

エヴァゲロスと大石の中学生二人はどちらも越知月光の『精神の暗殺者』の重圧は耐えられない。

一方でヘラクレスについて、自身は、越知の『精神の暗殺者』には『オリンポス 白銀の光』で覚醒させた身体能力で対応できるが、その後の大石の大和魂の前に精神的重圧がかかり迷いがでてしまい、互角だった技の打ち合いに競り負ける。

ここでは時系列が重要である。

・技同士はほぼ互角

・越知月光の『精神の暗殺者』への対応方法

・『精神の暗殺者』から生き残った者同士対決で大石が仕留める

この三段階の順番がどれか一つでも入れ替わると違う展開になっていたであろう。

総括すると、越知の能力『精神暗殺』で確実に1人を仕留め、相手の攻撃で精神が殺されず生き残った大石の日本ペアの勝利、となる。

 

・「体body」
第2試合 ダブルス1 アポロン・ステファノプロス&オリオン・ステファノプロス vs 遠野篤京&切原赤也

言わずもがな、誰が見ても視覚的に分かるであろう物理的な身体攻撃での潰し合い試合。

血飛沫が舞う処刑対決。

処刑法は、遠野もステファノプロス兄弟も身体への物理攻撃だ。

ゲームカウント4-4の時に、兄者アポロン介錯完了と遠野の限界で互いに1人ずつ動けなくなるも、残ったもう1人のダメージが日本の方、つまり電気椅子1回で眠らされていただけの切原赤也の方が、介錯を残すのみまで処刑法を喰らっていた弟者オリオンに比べてダメージが少なかった。そこに能力ブーストの悪魔化が加わり勝負有り、となる。

この試合の決着については、直前まで有利を確信していた弟者オリオンが、突然の形勢逆転かつ1人残されたかつ悪魔を相手にする展開に、大いに焦り、精神的にもノックアウトを喰らってまともに動けなくなった。という見方もできるだろう。

また、人間の処刑法では悪魔は処刑できなかった、と見ることもできるかもしれない。

いずれにせよ肉体攻撃の物理的な潰し合いとなった試合である。

 

・「知性mind」
第3試合 シングルス3 ゼウス・イリオポウロス vs  種ヶ島修二

「知性mind」としたが、「精神(心)」と「体」ではない人間の構成要素であり、精神(心)spirit・知性mind・体bodyを心・技・体にすると"技"にあたる試合。

名前の通りの"オールコントロール"試合の全てを支配する能力持ちの全知全能ギリシャ神話の神々の王であるゼウス神に対抗する、無効化能力持ちの種ヶ島修二、な構図となっている。

ここでキーポイントになるのが、種ヶ島の無効化技の名前が仏教用語の『已滅無』を採用されているところだろう。

見方によっては、ギリシャ神話vs仏教の様相を呈している。

つまり、人間の信心的な部分の概念を能力にしている者同士の試合になっている。

結局、試合自体は、"無い"ものは"支配"できないということで種ヶ島に軍配が上がる。

付け加えて、この試合が上手いのは、上位概念の捉え方をすると思想系能力バトルだったにも関わらず、というよりも、"だからこそ"、かもしれないが、優劣ではなくて『無』vs『支配』といった相性で勝敗が決まったように読むことができるようになっているところだと思う。

 

ちなみに、余談だが、西洋系思想において「無」が語られていることはほとんど無い。西洋思想では「有」が先立つことが主で、「無」は概ね「有」の対立概念否定概念程度である。東洋やインド系統の思想のように「無」そのものについて論じたりしていない。

 

 

ギリシャ戦は、全人教育が目指す人間像、すなわち、知識・感情・意志の調和のとれた人、the whole person, all-rounded personを構成する人間の全部の要素を分解して全三試合に分配した団体戦だと読むことができるだろう。

 

文字通りの"人間"ドラマになっている。

 

 

そして最後に述べておきたい以下個人的な感想。

 

無印の『テニスの王子様』の頃から引き継がれている部分ではあるが、『新テニスの王子様』の一番面白くて上手なところはこの上位概念が作中で言語化されていない部分だと思っている。

登場人物たちは「これは精神の闘いだ」といった内容はセリフやト書きで言わないのである。

あくまで、彼らは各々のテニスで試合をして、自分のテニススタイルで勝利を目指して、結果的にテニスの試合の勝ち負けがついているだけなのである。

メタ認知しようとすると思想的なぶつかり合いに見えなくはないものが、表現の次元で純粋なバトル漫画に落ち着いている。

この、ある意味での"はぐらかし"が、各方面への配慮が求められる現代において世界大会編を大々的に展開することができる一面なのではないかと思う。