超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

『テニスの王子様』と『新テニスの王子様』との関係性_新たなる人生テーマの問いかけ

『新テニスの王子様』THE PRINCE OF TENNIS Ⅱは、『テニスの王子様』では描かれきれなかった人間の営みを伝えている。

人生への圧倒的肯定を王子様達の魂が輝く瞬間の連続によって伝えてきた『テニスの王子様』(以下、無印と表する)だが、その人生への圧倒的肯定へ辿り着く所以は主人公:越前リョーマの「テニスって楽しいじゃん」という自覚である。そして、このテニスって楽しいじゃんは、「テニスを嫌いになれる訳ない………」理由だ。恐怖や苦しさを感じ、辛いことがあってもテニスを嫌いになれない、全てを受け入れる、愛する宣言なのだ。

つまるところ、無印で描かれた人生への圧倒的肯定とは、自分や他人の生を愛する力が全ての王子様に宿っており、その愛の力こそが生きる=試合に勝つ最大の原動力だということになる。(なお、この完結に繋がる全国大会決勝の立海戦は全試合を通して「愛」を巡る戦いである。)

さて、このようにして愛の自覚を手にした王子様達が乗り込んだ『新テニスの王子様』(以下、新と表する)世界での命題は「義では世界は獲れんのだ」である。

要するに、義の心では勝ち続けられない、人として正しい行いをするばかりではいずれ挫けてしまうことがある、ということの検証をするのが新の命題なのである。

しかもこの新で語られる義が足枷となるエピソードから推察できるように、他人への情けを否定し、目的(勝利)のためであれば裏切りや非道さも認める人生の是非を問いかけている。

人生への愛を語るのみだった無印では語られなかった、人間が生きる上で欠かせない他者の存在とその関わり合いを読者に問いかけている。

 

また、その人生における他者との関係性を描く新では、中学生のみがテニスをする無印では居なかった高校生が登場人物になることで生じた6年間の時間幅が、伝承・育成という人の営みの中で欠かせない要素の一つをも伝える。

この高校生の存在は、原作漫画の新しい魅力をもたらす役割も果たしており、中学生達の成長の天井をぶっ壊す高校生達からは、プレイをするばかりが格好良さではないことを感じることができる。 さらに、中学生(特に中3陣)には、無印の頃では描かれていなかった受け取る側としての一面が加わり、1人の人間に対する描かれ方に深みが増している。