閑話_テニプリが促した現実理解
至極、個人的な経験の話。
私自身の個人的な経験に基づく話です。
私はテニスの王子様に出会って宗教信仰について理解した。
実感を伴った共感の次元での理解をしたのである。
というよりは、テニスの王子様に触れる自分自身を見つめ、自分の感情を認め、考えを整理する中で、宗教を信仰するとは、宗教間や宗派間による主義主張の違いとは、こういうことなのかということに気がついた。
原作こそが全てだと思う自分を知った時、原理主義を理解した。
旧テニスと新テニの読者層の違いでユダヤ教とキリスト教の違いを理解した。
二次創作物や著作権にまつわるいざこざを見て偶像崇拝禁止を理解した。
「テニプリっていいな」と口に出すようになって祈りの言葉や念仏の効果を理解した。
アニプリやテニミュからテニスの王子様を好きになる層がいることを知って分かりやすさの必要性を理解した。
各キャラクターの好き嫌いを覚えたり、とてつもなく好きなキャラクター(いわゆる激推し)ができた時、宗派の違いを理解した。
テニプリから得られる楽しさや喜びを誰かと共有したいという思いから布教活動の必要性を理解した。
そして何より、たとえ同じくテニスの王子様にハマっていたとしても、主義主張の違う他人に対して排他的な感情を抱くことがあるということに気がついた時、宗教戦争が生じる現実を理解した。
これは、私個人の気づきであり、一人の人間の経験に過ぎないものの、こうやって一人の人間が宗教について実感を伴う理解を得たという事実こそが、テニスの王子様がその読者に対して宗教的役割を担うことができることを示唆していると言えるだろう。
一般的に日本人が疎い、自覚が薄いといわれる宗教について「知っている」ではない「分かる」という理解ができたのは、手触りのないどこか遠い場所での出来事ではなく、実感のある現実として物事を捉えることができるようになったということであり、これは精神性を持ち、共感を求める人間として生きている上では、とても大きいことだと思う。
そいういう点においても、私は、テニス王子様と新テニスの王子様には感謝しているのだ。私の現実世界の理解を広げてくれてありがとう。そう思っている。