超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

永遠性を予感させる物

テニプリはどこか絶対的な感ともいえる永遠性を感じさせる雰囲気をまとっている。

この光は、テニプリがファンを幸福にしている力は、決して消えたりなどしない。

そう思わせる物がある。

 

もちろん『テニスの王子様』が最終話を迎えて連載が終了したように、アニメテニスの王子様が最終回を迎えたように、現実的に物理的な永遠性があるのではない。

テニプリが感じさせる永遠性は、人々の内に宿る、人々の心の中で生き続けるという永遠だ。

ストーリーに触れることで得られるパワーや新しい発見は、衰えることなくいつでも新しくて深いテニプリをもたらしてくれる。

 

テニスの王子様』と『新テニスの王子様』を読み継いでいくこと、そしてキャラクターソングやミュージカル楽曲といったテニプリソングを歌い継いでいくことが、ファンの人々の生活に、時が経っても生き続けるテニプリをもたらしている。

 

つまり、テニプリを永遠にするのはファンの日々の営みなのである。

 

漫画・アニメ・ミュージカルと様々なメディアで繰り広げられる 『テニスの王子様』『新テニスの王子様』が作り出した物達を享受することで、テニプリはファンの人々の内に宿る。

人の内部で生きる精神的な永遠性を獲得できるように作られたコンテンツ達だ。

 

また、読み継がれ、歌い継がれることで、世代を超えてテニプリが伝わっていくことになる。

例えば、既にその片鱗はテニミュで垣間見得ており、テニミュは一定期間が経つと役者が代替わりしていくことで演じ続けられるシステムをとっており、また、ストーリー展開においても、原作『テニスの王子様』を第1巻〜最終巻まで公演し終えるとまたもう一度最初に話を戻して公演を始めるシーズン制をとっているが、役者が替わっても、時が経っても、変わらずに受け継がれている歌や踊りや物語があり、そしてそこに込められた思いがある。

 

テニプリフェスタ2016合戦に合わせて世に発表されたテニプリ☆パラダイスの歌詞から以下箇所を引用する。

 

10年…20年…100年経ったとしても

胸の中刻まれた物語よりも

負けない強さもって飛んでいけるから きっと

 

テニプリは100年経っても力強く生き続ける物語だ。

現実の物理的な永遠を超えて、胸の中に刻まれ人々の内に宿る永遠を有する物語だ。

そして、我々ファンは、テニプリが自らの内に宿るようにテニプリに触れ、その胸の中に刻まれたテニプリの物語から常に新しくて強い力をもらい日々を生きていきたい。