超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

全国大会決勝立海大附属敗因重要人物について

人間は意味をつけずにはいられない生き物である。

そんな人間の習性に逆らえずに、『テニスの王子様』におけるライバル校達が主人公の所属する学校である青春学園中等部に負けなければならなかった意味を見出してみたい。

 

とりわけ立海大附属が全国大会決勝戦で青学に敗北を喫したのには、負けるべくして負けたとでもいうべき前触れ、理由があったようにみている。

 

その重要人物は柳生比呂士であったとみている。

 

(具体的に語る前に、前提として、『テニスの王子様』は青学以外の学校キャラクターについては非常に限られた情報のみしか提供されていないため、ライバル校のましてや一キャラクターである柳生比呂士について正確に全て知るのはほぼ不可能である。このことからこの考察は限られた情報から推測した仮定話だと、例えばこういう読み方もできる、こうして読んでみても面白いという程度でとらえていただきたい。)

 

全国大会決勝戦青学vs立海戦において柳生比呂士は勝敗の結果をもたらす人物だった。

 

立海は部長幸村精市のあだ名が「神の子」であることになぞらえると、柳生比呂士は聖書におけるイスカリオテのユダのようである。

柳生が勝敗を決める人物となった原因は関東大会後全国大会開始前Genius240奇妙な出会いで描かれた海堂との邂逅と入れ替わりから始まっていた。

 

全国準決勝の名古屋星徳戦では立海三連覇の必要スキルとされていた二年生エース切原赤也の悪魔化のキッカケの言葉を唱えたのは柳生比呂士であるが、決勝戦の青学戦では柳生はその言葉を発してはいない。

代わりにというわけではないが、青学戦では対戦相手で敵であるはずの青学2年生海堂薫のことを「無敵」と称している。

 

謂わば、立海大附属にとって全国大会決勝青学vs立海戦での柳生比呂士は異分子、さながら裏切り者のようなのだ。

 

それを象徴するかと疑う様な描かれ方がいくつかある。

全国大会決勝戦では柳生は試合に出場が無いためベンチからの解説や感想の台詞がいくつかあるのだが、D2乾・海堂ペアvs柳・切原ペアの試合が始まって以降、セリフの比率は圧倒的に青学に関する解説が多くなる。

 

また、立海のメンバーの中で一番先に描かれなくなるのは柳生である。柳生の最終登場コマは部長の幸村精市が入院中の回想であり、回想を除いた最終登場コマは最終巻42巻P30となる。これは主人公越前リョーマが天衣無縫の極み到達するシーンはおろか幸村のテニスが始まるよりも以前、幸村精市の前に越前リョーマが身につけた百錬自得の極みと才気煥発の極みが通用しないシーンに表情だけの台詞無しで描かれたのが柳生の『テニスの王子様』最終登場となっている。

さらには、最終巻42巻の巻頭STORY & CHARACTERSにも立海では柳生比呂士だけ不在なのである(試合をしていないというのが大きいとは思うが)。

 

 

関東大会決勝の青学vs立海戦にはキーパーソンがいて、それが乾貞治であったことはミュージカルテニスの王子様3rd season青学vs立海のパンフレットにて原作者許斐剛より明らかにされている。

では仮に全国大会立海戦にも青学のキーパーソンがいたとして、その人物を海堂薫として読むことはできないだろうか。

全国大会の青学vs立海戦について40.5巻の作者インタビュー『許斐剛先生 全国大会を語る‼︎』でも海堂薫は言及されている。

全国大会vs立海戦の「海堂に関しては、まわりの皆が強くなるレベルに合わせる様に、進化を果たさせたかった」存在だとされている。

海堂の進化、すなわちダークサイドへの目覚めのきっかけとなったのは世話になってきた先輩をがやられたからであり、この試合でそれを引き起こした悪魔化切原への攻撃であるジャイロレーザーとトルネードブーメランのコンビネーション技を海堂が身につけたきっかけは全国大会前の柳生比呂士が持ちかけた入れ替わりの経験である。加えて切原の悪魔化の呪文"このワカメ野郎"を作中で一番最初に発言したのも柳生比呂士である。

 

つまり、この全国大会決勝戦のキーパーソンを海堂薫とした場合、必然的に柳生比呂士も重要人物と扱わねばならなくなるのだ。

 

柳生比呂士の人物像を考える時、40.5巻で言及された守護妖精が四大妖精の水の妖精ウンディーネである件について解説した最後の一文があまりに底知れない。

“知性とプライドが高く、敵に対しては冷たい一面もあり、あらゆる手段を使って容赦なく叩きつぶすという激しさをも合わせ持っているのだ。"というのはあまりに怖すぎやしないだろうか。

なお聖書に登場する裏切りの代名詞イスカリオテのユダも十二弟子の中でプライドが高い人物であったと言われており似ていると言えなくもないのではないだろうか。

 

イスカリオテのユダのイエスキリストへの裏切りの教訓とされている箇所の一つに新共同訳聖書ペトロの手紙1 5章9節 「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。」がある。

青学は原作者より「勇気と優しさ無限の心」を持ったチームとされている。

他校のましてや対戦相手でありライバルでもあるチームの選手への悪口陰口に我を忘れるような怒りを抱いた海堂の"優しさ"に青学の真髄に直接触れた柳生は、青学に敗北を喫する前に他の立海メンバーよりも一足早く、立海の信仰から踏み出てしまっていたのかもしれない。

 

以上のように考えると、実は全国大会決勝青学vs立海戦では対戦前にすでに対戦相手に影響を受けた存在がチーム内に居た時点で団体戦としては立海の方が負けるべくして試合に挑むようになっていたのかもしれない。

そしてその試合前時点で対戦相手に汲みしていた立海のメンバーこそが柳生比呂士なのである。

彼の存在が全国大会決勝で立海を敗北へ導き、ひいては、立海を敗北させた主人公越前リョーマが天衣無縫の極み到達した際の気づき「テニスって楽しいじゃん」という『テニスの王子様』の最終結論にも繋がっていると読むこともできるのではないだろうか。

 

さて、『テニスの王子様』におけるラストボス幸村精市は40.5巻で原作者より「最強で最悪の『神の子』幸村精市」と称されているが、その最強最悪な神の子幸村精市が率いる立海の掟に背いた柳生比呂士はどこへいくのだろうか。

聖書では神の子イエスキリストを裏切ったイスカリオテのユダはその罪に自殺をするのだが、それは聖書における神の子は世界の愛であり、真理であったからであろう。

柳生が背いた立海の掟はその上位概念に『テニスの王子様』の法則がある。立海の神の子を裏切っても、この世界の愛と真理に背いた訳ではない、というのが聖書とは異なっているだろう。

つまり、いっとき所属するチームにとっては"裏切り"の存在であったとしても、柳生比呂士もまたテニスの王子様の一人であり『テニスの王子様』の世界の法則に倣うようになる。

この希望こそが救いであり『テニスの王子様』の圧倒的肯定感の一因でもあるとみている。