超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

天衣無縫の極みについて考える_人生の辿り着くべき場所への到達

※本記事は、作品名などの表記にブレがあったり、段落間の接続に違和感があったりするため、後日修正を入れる心づもりです※(2019.1.5)

 

200712月に刊行されたテニスの王子様公式ファンブック40.5によると、

"天衣無縫の極み◉無我の境地の奥にあると言われている、3つの扉のうち「開かずの扉」と呼ばれる、最も次元の高い領域。過去数十年前に、1人だけこの扉を開いた人物が存在するらしい。"

と記されている。

なお無我の境地とは、身体の記憶でプレーをするようになる一種のゾーン状態のことである。

 

旧テニで越前リョーマが天衣無縫の極みの扉を開いた「テニスって楽しいじゃん」の自覚は、ジャンプ展(会期20189)の原画展示キャプションで原作者より「旧テニプリのたどり着いた答え。皆の戦ってきたすべての答えがここにあります。」と語られた。

これはテニスって楽しいじゃんが答えであると同時に、この自覚はあくまでテニプリ答えだと限定されたことでもある。

新テニでは別の答えが示されても何ら不思議ではない。

 

喜怒哀楽の感情のうちが五感剥奪や体力・精神の火が消えてしまった状態からの再起に有効なのではないだろうか。

天衣無縫の極みの到達が描かれているのは3人越前リョーマの他にもう2人手塚国光遠山金太郎がいる(鬼十次郎は目覚めた瞬間が描かれておらず最初からできたことを思い出したのでここでは含まないこととする)。

手塚国光の天衣無縫の極みへの到達シーンから、天衣無縫の極みの扉はその領域に到達していてもリミッターがかかり開かない可能性があることが示唆されている。手塚にはチームのためという没我的な自己欲求を無視する禁欲的な姿勢を解放したことで本来の姿として天衣無縫の極みが現れた。

遠山金太郎の天衣無縫の極み到達のキーワードは面白いではないだろうか。

越前リョーマが父親:越前南次郎によってテニスって楽しいじゃんの気持ちを思い出した時の覚醒の言葉は「テニスを嫌いになれるわけない だってテニスって楽しいじゃん」であったが、遠山金太郎は「面白いわぁ だからテニスは止めれーへん」だ。

(おそらく鬼十次郎は「俺の幸運」)

つまり、天衣無縫の極みという答えが一つ存在していること、その答えに到達する法則性や属性はあれど方法は人それぞれということが分かるだろう。

 

さて、この天衣無縫の極みとは言い換えると絶望から自力で再び立ち上がった状態ということができるのではないだろうか。

前述の通り、天衣無縫の極みに主人公越前リョーマが目覚めたきっかけ「テニスって楽しいじゃん」の自覚を「旧テニプリのたどり着いた答え。皆が戦ってきたすべての答えがここにある」と原作者である許斐剛氏はジャンプ店にてキャプション付けした。

テニスを楽しい嫌いになれないの自覚がすべての答えということは、テニスは人生であるテニスの王子様の世界観においてそのまま人生を嫌いになることはできないという意味にもなる。

 

テニスの王子様において越前リョーマは全員の全てを背負いすべてを昇華させた。

越前リョーマとは象徴なのである。

越前リョーマが主人公としてまっさらな状態から一つずつ背負うものを増やし最終的に天衣無縫の極みに到達してみせることは、作中に登場しテニスをプレーする全員にその可能性が宿っていることを表現したことになる。

 

 

天衣無縫の極みとは何かといえば結局はテニスをするためにテニスをする状態なのではないだろうか。

ただテニスが楽しいから(正の感情をもたらすから)テニスをする

テニスを上手くなりたいからテニスを上達させる

テニス以外のところに目的がない、つまり、勝つためや見返すためなどといった何か目的達成を念頭に置いていない報酬系の思考から脱却し、体が実践している状態が天衣無縫の極みなのではないだろうか。

 

また、新テニ遠山金太郎の天衣無縫の極み状態を観察するとそこに勝ち負けと満足度の相関性がないことがわかる。

天衣無縫の極み到達状態のプレイヤーにおける試合の勝敗はテニスに対する感情に影響を及ぼさない。

 

つまり、テニスは人生のテニスの王子様世界の文脈で語ると、生きるために生きることができる状態が最強のレジリエンスをもたらすという答えになるといえるのではないだろうか。

何かの目的を果たすために生きるのではない。

今、目の前のそのものをそのまま愛し楽しむことができるだろうか?それが出来た時が精神的に満たされ、折れない心や、ひいては充足感につながる状態が天衣無縫の極みの扉を開いた者の人生観であり、この境地を人生が到達すべき最高次元と定めたうえで主人公に到達させたのがテニスの王子様である。

 

なんのためにテニスをするのか、それはテニスをするためなんのために生きるのか、それは生きるためこの思想に到達するための物語であるからこそ、テニスの王子様は、人生への圧倒的肯定感、つまりは生きていることそのものの賛美であり、受け入れられている感覚であり、~~ができるから、~~を成し遂げたから賞賛されるような条件付きでない生が肯定されているので、読者は物語から力や勇気や安心を得ることができると考えている。

 

テニスの王子様とは人間賛歌の物語である。

そして、その続編である新テニスの王子様では天衣無縫の極み以外の人間が到達すべき境地を模索して提示する挑戦(物語)であることが幸村精市の姿を通して示唆されていると読んでいる。

 

このキーマンになるのが幸村精市だ。

幸村精市は旧テニ中では最後に登場する最強の敵、すなわちラスボスであるが故に主人公に背負われない唯一のキャラクターのため、作中では他キャラクターと別次元に立たされている。

その幸村精市が他キャラクターと同次元に立ち、成長すべき存在としての物語が描かれるようになるのは新テニスの王子様の物語である。(旧テニの作中で仮に幸村精市に他キャラクターと同様に成長、テニスの王子様世界における人間存在への救い、がもたらされているとするならば、唯一全国大会決勝シングルス1で越前リョーマに敗北し握手をした後のDear Princeテニスの王子様達へ~の歌詞が描かれる数コマの時間に訪れているだろう。)

その幸村精市は、新テニスの王子様16巻17巻においてU-17W杯のエキシビジョンマッチ対ドイツ戦に出場し、相手の強さの前に自らがイップスの五感剥奪状態に陥ってしまう。その幸村精市イップスを克服のきっかけに、旧テニでは示されなかった人生の到達すべき境地の示唆が垣間見える。

 

イップスの自力脱却を試みるにあたり幸村精市は、「ただ一人あの王子様を除いて」というモノローグで無印テニプリで描かれた全国大会決勝シングルス1で対戦相手であった越前リョーマが同様の五感剥奪状態から自力で脱却したことを思い出す。

その上で、越前リョーマテニスの王子様で天衣無縫の極みに到達したきっかけ「テニスって楽しいじゃん」を否定し、「テニスをできる喜びは俺は誰よりも強いんだ」という喜びを自覚したことでイップスからの自力脱却を果たした。

ここで幸村精市は、五感剥奪状態を自覚してその恐怖を認識した上で克服するという、自らが今までに他人に施してきたことを自らが体感し、認識し、乗り越えるという自己の再定義に成功している。またこの再定義によって人生の次の段階へ進むことができた。

おそらく、五感剥奪状態は絶望のメタファーである。

この絶望はテニスができないという絶望だ。

幸村精市は、病に倒れてテニスができなくなる絶望を克服し、さらに試合中の五感剥奪状態からの自力脱却を経ても、なお極みに達しない。

幸村精市のテニスへの執着は、テニスをする=生きることの価値観であるテニプリ世界においてそれはそのまま生への執着だ。

従来、幸村精市は無我の境地を使えるが好まないという理由により自らの意思で境地の扉を開かない、使わないようにしていた。

天衣無縫の極みが一つの答えだとすると、このことは天衣無縫の極みの扉を開く以外の別解としての存在が幸村精市であり、これは病を克服して這い上がり再びテニスの元に戻ってきた幸村精市を通してだからこそ挑戦できる人生の答えであろう。

 

まとめると、天衣無縫の極みとは、喪失からの再獲得およびその自覚と定義づけられるかもしれない。

天衣無縫の極みのレジリエンス

それはさながらイエス・キリストの復活の様である。

奇跡の復活は死という絶望があるからありえる希望なのだ。

絶望を克服するから奇跡であり、信仰の対象となるのだろう。

テニスの王子様における天衣無縫の極みの扉を開くのも、絶望を克服し、その先に前向きな感情を抱くことができた者なのかもしれない。

 

広辞苑第七版より

天衣無縫

てん-い【天衣】

①天人・天女の着る衣服。また、天の織女の着る衣裳。あまのはごろも。(②は略)

−•むほう【天衣無縫】(天人の衣服には人口の縫い目などがない意から)詩歌などに、技巧をこらしたあとがなく、いかにも自然で完美であるさまの形容。また、人柄が天真爛漫でかざりけのないさま。

(かん-び【完美】①完全で美しいこと。②完全に充実すること。)

極み

きわみキハミ【極み】きわまるところ。限り。はて。