超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

キャラクター考_氷帝学園に魅せられるということ

本稿は、『テニスの王子様』におけるライバル校:氷帝学園について考察する試みである。

 

最初に断りを入れさせてもらいたいが、無印『テニスの王子様』は青春学園中等部男子テニス部が主人公のため、ライバル校の考察は非常に難しい。

ライバル校はどうしても主人公の属する青学のキャラクター達の目を通しての姿でしか見ることができない。

ライバル校のみをただまっすぐに目撃することは意外なほどに困難である。

当然といえば当然のことであろうが、今まで見てきたテニスの王子様は、全てのキャラクターが主人公だといわんばかりに、あまりに生き生きと描かれていたことで錯覚していたのだと思う。ライバル校キャラクターである彼ら自身が主人公となるストーリーは、漫画『テニスの王子様』で描かれた世界とは別基軸で存在しており、我々読者は漫画となって切り取られた部分のみを、しかも主人公越前リョーマ(とその所属校である青学)の目を通して観察しているにすぎなかった。

そんな中でも、"氷帝狂騒曲"と題した一話が描かれるほどに描写の多い氷帝学園とその所属キャラクターについて、彼らが読者へと語りかけるメッセージや哲学性を読み解こうと思う。

 

 

<プライドをもたらす者達>

人間の矜持を置いていこうとするときに、思い出させてくれる、それは忘れてはならぬと語りかけてくる存在、本当にそのプライドは捨てても良いものなのか、と問いかけてくるのが氷帝の人々だ。

だから、我々は氷帝学園中のキャラクターの前に立った時、彼らに恥じぬように生きたい、誇れる生き方をしているのか、と自らを再び鼓舞できるのではないだろうか。

 

氷帝学園中の正レギュラーキャラクターのそれぞれ代表的な台詞(決め台詞)を見ても、他の学校のキャラクターに比べて彼らのアイデンティティがそれぞれの美学に立脚していることが窺いしれる。

跡部景吾「俺様の美技に酔いな」

芥川慈郎「ボレーなら誰にも負けねぇ」

忍足侑士「攻めるん遅いわ」

宍戸亮「激ダサだぜ」

向日岳人「もっと跳んでみそ」

鳳長太郎「一球入魂」

樺地崇弘「勝つのは氷帝です」

日吉若「下剋上だ」

 対自分への言葉であったり、美しさが基準になっている言葉が多い。

(補完であるが、新テニスの王子様に登場した氷帝学園中等部OB現高等部所属の越知月光「さして興味はない」も自分基準の価値観をうかがわせる)

 さらには関東大会での顧問榊太郎の指導も以下のように己に問いかける言葉が使われる。

D1後「満足いく試合が出来たか?」

S1中「お前のテニスを見せてやれ‼︎」 

己の美学を確立させ、それに恥じぬよう戦ってみせるのが氷帝学園中である。

 

 

氷帝学園中は作中で青学と二度戦う。

 氷帝は作中で唯一真正面から青学に二度負けた学校である。(立海については関東大会は両者万全の状態ではなかったこと、また、不在の部長同士の様子を鑑みると、正面から挑んで負けたとは考えづらい。このことの詳細については、また改めて論考したい。)

 

全国大会氷帝氷帝テニス部は作中の桃城武の言葉を借りると

「二度負けるつもりはない氷帝は このリベンジに自尊心 油断 過去の栄光など 全てをかなぐり捨てて挑んで来ている」のだ。

 

敗北してもなお傷つかない魅力を有する。

気絶してもなお君臨した跡部景吾の姿こそが氷帝学園中の本質だ。

氷帝の奴らは全員が跡部景吾である。

その跡部景吾が象徴した姿、負けてもなお凛と立つ折れてはならないプライドと自信

表面的な美を失ってもなお残る美しさを彼らの中に見る。

 

敗北からの立ち直り、負けから学ぶもの、挫折から這い上がるという姿勢は跡部景吾以外の氷帝メンバーにも強く現れる。

それがわかりやす丁寧に描写されているのは宍戸亮ではないだろうか。

例えば、宍戸亮が自分なりのテニスを築き上げた流れ、橘に負けたことで大きくなったことで確立されたテニススタイルや、油断しなくなった、相手を舐めてかからなくなった精神の確立にもその姿をみることができるだろう。

 

 

彼らは総じて敗北との向き合い方が美しいのだ。

 

人生を生きていれば挫けることもうまくいかないこともままならないこともある。

その時になお歩みを進める、一層強く踏み出す、折れない精神こそが氷帝学園の姿であり、その姿に我々読者も自らの背筋を正したくなる。

正しい自己肯定感や、プライドを手に入れて、なお立ち上がる気概をもらう。

読者に、敗北では消えないプライド、そこから立ち上がる精神力、努力、正しい自己肯定感精神的な高潔さを見せてくれる集団である。

 

 

全力で挑んだ物事に敗れるというのは怖い。

負けると分かった上でも全力でぶつかっていけることは稀だ。

そこで失うものの大きさに足がすくむだろう。負けた時の無力感に絶望してしまいそうになる。

そんな時に「負けても自分のプライドの大切な部分は傷つかない」と教えてくれるのが氷帝学園中のレギュラー達だ。

 敵わないものへも全力で向かっていくこと、

敗北からも学ぶこと、

それでも折れない傷つかない精神的な志を大切にしていくこと、

彼らの戦い様からはそんな人生との向き合い方を教えられるのではないだろうか。

 

本当に無様であるとはどういうことか、そういう問いかけを発している。

またその無様であることへの抵抗感と恥と無様にみせない生き方を彼らが掴み取っていく姿が彼らのかっこよさであり魅力である。

 

それはまさしく『氷のプライド 誇り高き美学』なのである。

 

氷帝学園の魅力は何かと考えると結局たどり着くのが原作者の許斐剛テニプリFEVERの歌詞として各校につけたキャッチフレーズになる。

『氷のプライド 誇り高き美学』に惚れ込むのが、氷帝学園に魅せられるということ。

プライドと美学を共有した者たちの集まりが氷帝学園なのではないだろうか。

(なお、他のライバル校についても、その学校の魅力はどこかと尋ねられて一言にまとめようとすると、この各校キャッチフレーズにたどり着くと思っている。このことの詳細についてもまた改めて論考したい。)

 

 

以前本ブログでは青学が人生のどんなテーマをかけて各校と対戦したのかについて論考したことがある原作漫画を読み解く_無印で語られる具体テーマ - 超解釈テニスの王子様 人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)手前ながらこの考察によると関東氷帝戦は「チーム・仲間」をテーマに戦った。

この試合で敗れ、青学に雪辱を誓った氷帝は全国氷帝戦でチームとして勝つことに主眼をおいたオーダー戦い方をするようになる。

原作漫画中のシーンを拾うと、D2の榊監督「竜崎先生 これが勝つ為の我氷帝学園のオーダーです‼︎」、S2樺地「勝つのは氷帝です‼︎」D1「俺達は勝って跡部に繋げなきゃならねーんだよ」S1「しかし今の跡部は違う… 自分の欲求は捨てた」「部長としての選択だ 氷帝の勝利の為に!」

この流れからも氷帝学園が敗北から学び克服するという生き様を全うしていることがうかがい知ることができるだろう。

そしてさらに青学は氷帝を負かしたことでプライドも手に入れる。それはすなわち強豪校の自覚であり、自信だ。

 

比較による考察を深めるためにライバル校同士を比べてみる。

氷帝学園立海大附属の部長と他レギュラーとの関係性の書き分けがなかなかに難しいが、あえて表現するのであれば、

氷帝は、跡部景吾が頂点であり、

立海は、幸村精市が中心である。

跡部景吾氷帝の中心ではないし、幸村精市立海の頂点ではない。

氷帝メンバーは濃度の差こそあれど、全員が跡部景吾なのである。

立海メンバーは幸村精市ではない。

立海レギュラーは幸村精市の方向を向いているが、氷帝正レギュラーは跡部景吾のために戦ってなどいない。

氷帝は全員跡部景吾なのである。

氷帝学園所属として描かれるレギュラーメンバーは全員「より優れた他者の力を認め、自分が劣っていることをきちんと理解し、驕ることなくひたむきに努力をしているところ」(「テニスの王子様 BEST GAMES!! 手塚vs跡部」松竹株式会社 2018年8月24日発行 映画パンフレットP14 CAST INTERVIEWより)が魅力な王子様達なのである。

 

 

 

以下は、氷帝学園中男子テニス部正レギュラー内では芥川慈郎を愛する筆者による願望混じりのキャタクター考察。

 

氷帝学園は全員が跡部景吾である。

跡部景吾が頂点である。

彼は氷帝学園を体現する完全形である。

そして跡部景吾以外の全員は跡部景吾を目指す。

跡部景吾は「より優れた他者の力を認め、自分が劣っていることをきちんと理解し、驕ることなくひたむきに努力をしているところ」(前述BEST GAMES!! 手塚vs跡部パンフレットより引用)が彼の魅力の本質であろう。

そして氷帝No.2とされる芥川慈郎はその特性が陽の方向に全振りして出現していると見受けられはしないだろうか。(なお頂点である跡部景吾は陰陽全てを内包して「より優れた他者の力を認め、自分が劣っていることをきちんと理解し、驕ることなくひたむきに努力をしている」。)

芥川慈郎は氷帝学園中というチームにおけるバランサーになる。

彼の氷帝の哲学を共有しながらの陽のエネルギーが氷帝のチームとしての全人的なバランスを保つ。

全国大会準々決勝で彼はベンチであったが、このバランサー感覚が非常によく現れている。

氷帝がピンチの時(作品的には青学が活躍する時)氷帝は悔しがったり否定したりするような言動が多いが、芥川慈郎だけは肯定的なメッセージを発するに終始している。すごいものはすごい。驚くべきことは驚く。すごいものにはドキドキする。純粋なまでに。これは団体戦メンバーとしてはチームの勝利に執着しておらず自分勝手ともとれるが、一方で相手のことも素直にすごいと認めることができる人間性でもある。

だからこそこの勝利への渇望や熱量を青学が得た(であろう)この団体戦にはこの精神における対戦相手になり得ず出場できなかったのだろう。

 

20.5巻において原作者の許斐剛氏がインタビューで「芥川慈郎は一番キャラクターに変化があった。結果的に氷帝を明るくできてよかった」と語ったように、彼はその役割を集団の中できっちりと果たしている。

また、その彼がその真偽はどうであれ、氷帝学園実力No.2という強いキャラクターとして存在していることも、他に陽の方向に振ったキャラクターのいない氷帝学園において、絶妙なバランスをもたらした要因だと思っている。

 

ペアプリで原作者が「氷帝No2として出したのに、芥川慈郎を活躍させてあげられなかったのは後悔している」と語り、山吹戦で不二がD2で負けたことを「あんな風に簡単に描くべきではなかった。不二は簡単に負けさせてはならない」と語っていたことからも、おそらく本当に対戦相手が悪かっただけなのである。

不二周助を強いキャラにするために使われてしまったのが関東大会氷帝戦の芥川慈郎なのである。

 結局関東大会vs氷帝戦を見る限りだと、S2不二周助を圧倒的に強いキャラクターとして描くためだったような気がする。また、その後のS1への流れに沿うと、おそらくダブルスはダブルス専門、シングルスでも3と2、2と1との間に強大な実力の壁がそびえ立っているように読める。