超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

愛されるよりも愛したい

テニスを。

 

 

テニスに愛されるよりもテニスを愛したい。

その生き方を魅せてくれている奴らがいる。

 

 

この文章は、ジャンプSQ.2020年7月号が発売され、Golden age302『零感のテニス』までを読み終えて考えていることである。

 

U-17 W杯準決勝S2幸村精市(日本)vs手塚国光(ドイツ)の試合が展開されている。

この試合は、作者の許斐剛から「テニミュ立海で涙した皆にも是非見て欲しい。」(ジャンプSQ.2020年5月号 巻末作者コメント)と言われて始まった。

テニミュ立海とは、2020年2月16日に大千秋楽を迎えたミュージカル3rd season テニスの王子様 全国大会 青学vs立海 後編のことであろう。

上記演目は無印『テニスの王子様』の最終決戦である越前リョーマvs幸村精市の試合であり、越前リョーマが『天衣無縫の極み』の扉を開いて幸村精市に勝利し青学が日本一を決めた無印『テニスの王子様』の最後までを見せるストーリーだ。

 

このこともあり、幸村vs手塚を読むにあたっては無印の越前vs幸村を頭においている。

 

そして最新話Golden age302『零感のテニス』までを読んで頭に浮かんだのは、

テニスに愛された越前リョーマ

テニスを愛した幸村精市

対比のような構図だった。

 

 

人生は望んだ物を得られなくても生き続けるのである。

 

幸村精市はこの手塚国光とのシングルスマッチに臨むにあたり、自らが所属する学校の後輩である切原赤也にこう宣言している。

「【天衣無縫】にならなくてもテニスを諦めなくてもいい事 自分が証明する」と。

 

 

たとえテニスに愛されなかったとしても、テニスを愛し続ける。

愛されたかったものから愛されなかったとしても、自分が愛し続けることは自分の意思で可能だ。

その生き方も否定される言われはない。

 

 

聖書の言葉を引こう。

 

使徒言行録 20章35節

"あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。"

(新共同訳)

 

幸せには、自らが受けるのを望むよりも自らが与える。

自分の幸せは相手の行動を待つのではなく自分の行動で掴もう。

 

テニスに愛されるよりもテニスを愛することを目指す。

その幸いを感受するテニス人生だって真なのだ。

 

自分がテニスを好きだ、と疑わずにいられるか。

自分は強くテニスを愛していると、他の何よりも自分に言えるか。

今、この瞬間、テニスをする、テニスを選んだ自分を自分で裏切らない。自分に嘘をつかない。自分を信じる。

 

誰かと比べた相対的な強さではない、絶対的な基準で自分一番、誰よりもテニスを愛しているのだ、と言えるか。

 

その強いテニスへの気持ちを持っているのが幸村精市なのではないだろうか。

 

ここでもう一度、聖書の言葉を引く。

ローマの信徒への手紙 5章3-5節

(前略)"苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。"(後略)(新共同訳)

 

希望が苦難の中にある。

苦難が希望に繋がる。

 

座右の銘に「冬の寒きを経ざれば春の暖かきを知らず」と掲げる、Golden age161で「テニスを出来る喜びは 俺は誰よりも強いんだ‼︎」と自らを鼓舞して五感剥奪の暗闇から自力で抜け出した幸村精市に、苦難の中から生まれる揺るぎない希望が降るのだと、神に祈るように信じたい。

 

 

『新テニスの王子様』Goledn age 296から始まったU-17 W杯準決勝S2幸村精市(日本)vs手塚国光(ドイツ)では、「天衣無縫にならなくてもテニスを諦めなくていい事を自分が証明する」と宣言して天衣無縫の極みこと矜恃の光を発現させる手塚国光との試合に臨んだ幸村精市ではあるが、考えてみると、現在の日本チーム高校生でGenius10と呼ばれるU-17メンバーの上位11名のうち天衣無縫の極みに到達していることが分かっているのは鬼十次郎1名のみである。

また、プロで活躍しているスイスチームのアレキサンダーアマデウスのテニスは闇(ダークサイド)であり、光ではない。つまり矜恃の光になれるかどうかは判明していない。

さらに、矜恃の光の三種の精神派生を体感吸収したドイツチームのQ・Pは矜恃の光になったのではなく、究極の品質に、テニスの神になった。そして矜恃の光の心強さの輝きとなった鬼十次郎に試合で勝利した。

『新テニスの王子様』において無印『テニスの王子様』の最終奥義であった【天衣無縫の極み】の扉を開く=【矜恃の光】を発現する、それがテニスで上を目指し続けるためテニスを諦めないことへの唯一解ではないことが伺える描写もあると見ることができるだろう。

 

 

ここで、天衣無縫の極みに到達しないキャラクターでもう1人言及しておきたい人がいる。

跡部景吾である。

才能を努力で自らの生きる道をもぎ取って強くなった男だ。

跡部景吾の努力については様々なエピソードはあれど、原作漫画『新テニスの王子様』Golden age43跡部王国の回想で描かれた子供の頃の英国在住時代のエピソードが顕著だろう。

彼は「それしか俺の生きる道はなかった」と語る。そして"誰よりも強くなっ"た。

 

追い続けて追いかけて追いかける。

その先にある物もあるのではないだろうか。

 

話が逸れてしまう上に個人の趣向になってしまうが、『The Prince of Tennis BEST GAMES!! 不二vs切原』のキャストオーディオコメンタリーTIME 30:05〜30:45で切原赤也役の声優キャストの森久保祥太郎氏が切原赤也について語り、越前リョーマ役の皆川純子氏が同意する「赤也って先輩を"超えたい"と感覚がすごい強い。僕だと役者の業界にいて超えたいという感じって持ったことなくて超えるというよりも追いかけたいというのがある」「超えたいとうのはなかなか描きにくいかも」(内容は一部省略。意訳。)という言葉が好きだ。

 

他にも、日吉若の魅力に唐突に目覚めた瞬間があった。

敵わないものへ挑み続けることができる。

今は敵わないものを倒す未来を思うことができる。

その姿勢に惹かれるのである。

 

遠野篤京のその瞬間瞬間に全身全霊をかけたプレイスタイルもそうだ。

 

『新テニスの王子様』Golden age242〜247フランス戦D1における毛利寿三郎から柳蓮二への言葉「お前まだビッグ3とか言うて立海の3番手として偉そうにしとるん?」「どうせなら1番てっぺん狙いんせーね」は、「自分にリミッターば掛けていた」柳を「己の中の呪縛から解き放」った。

毛利寿三郎、経験者はかく語りき。

どんな方法でも1番は狙えるが、狙うかどうかを決めるのは自分自身である。

勝つと本気で思えるか。1番になるのは自分だと自分で思うことができるか。ある程度で満足せずにいようとするか。

 

この価値観は『テニスの王子様』Genius295満足いく試合(ゲーム)とは内での榊監督と宍戸・鳳ペアの会話「満足していては俺達は上へ行けませんから」でも明確に発せられている。新テニプリになる前の無印テニプリ時代から在る価値観だ。

 

テニスの王子様が魅せる生き様

・挑み続けること

・自分で自分を見限らないこと

・自分の生き方を自分が否定しないこと

 

そんな当たり前のことが当たり前にあるのがテニスの王子様・新テニスの王子様の世界だ。

 

もしも機会があれば本稿のタイトルに歌詞を引いた歌の歌詞をご一読されたい。

愛されるより 愛したい KinKi Kids 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

“扉の向こう” “光る空” “青い風” “つよい風に向かいながら走りつづけたい”(作詞:森浩美, 作曲:馬飼野康二, "愛されるより 愛したい", KinKi Kids, 1997年11月12日)

 

テニスの王子様・新テニスの王子様を通して、そういう青さに輝く生命を見ている。