超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

『BEST GAMES!! 手塚vs跡部』を映画館で観て感じたこと思ったこと考えたこと

(前置き)

元々このブログは漫画『テニスの王子様』と『新テニスの王子様』の考察を綴るために開設したので、個人的な感想を述べるのは場所が違う気もしましたが、感想がえらく長文になってしまったことや鑑賞して考えたことを書きたい衝動が抑えられず、長文を掲載できるこのブログを使いました。

色々と書いたことを消すのがもったいなくなり、結局何が言いたいかわからなくなってしまって宜しくないと思いつつも消せずに載せてしまったので、文章の分かりにくさはご容赦ください。

明日、日付変わって本日の公開最終日、最後にもう一度、映画館で目に焼き付けたい。

(前置き終わり)

 

 

アニメ新テニスの王子様BEST GAMES!!手塚vs跡部を観た。

 

アニメが原作漫画の理解をスムーズにしたりより深めたりと機能するのであれば、それは正しい漫画のアニメ化なのかもしれない。

 

《箇条書きの感想》

〈良かった点〉

漫画にはない脚色で、高架下コートの試合とタイブレーク中のアップとで相手を変えて越前リョーマが「いいっすよ」と言う演出は同じ台詞でも心情の違いが伝わってきた。

 

手塚国光にとって青学が大切になるまでの過程とそのきっかけ描写がとても丁寧。手塚国光にとっては大和部長はどこまでも青学の部長なのだ。

 

手塚国光を中心に据えた物語とすることで、大和部長→手塚部長→越前リョーマの青学の継承の流れが伝わってくる

 

あの試合が互いに極限なのは手塚国光がそれほどまでに強大に強いという前提がある。この試合で手塚国光が肩の痛みによって極限状態になっているのは分かるのだが、跡部景吾が何に追い詰められているのか疑問だったのだが、ただテニスで、手塚国光という圧倒的な強さに追い詰められていたのだと初めて理解できた。

 

アニメになり、呼吸を吹き込まれる存在になり、流れの中で描かれることが特に良く働いていたのが真田弦一郎。手塚と対戦をどれほど望んでいたかが伝わってきた。

 

試合のテニスボールが生き生きと描かれているのには感動した。やはりテニスの試合をしている時が一番にかっこいい。

 

榊監督と大和部長の声に抑揚がなくドライな喋り方がより一層際立っていてよかった。彼らは戦いをしている選手よりも少し俯瞰した視点にいる存在であることが分かる。

 

不二が手塚に固執しすぎていない雰囲気で良い。不二もまた手塚と対等なのである。

 

ゼロ式ドロップを拾おうとした者(越前リョーマ跡部景吾)が膝をつく動作が手塚をより強者に見せていて、手塚国光の圧倒的な強さが見えた。

 

越前リョーマの「はい」と「うっす」の違いに痺れる。

S1の決着後、観衆へ視点が映り、越前リョーマにだけ焦点が当たる演出も素晴らしい。

リョーマが青学の柱を体感で理解していく様が伝わってくるようで感動した。

まだよくわからない高架下と柱を背負うべき存在としてコートへ向かう補欠シングルスの感情の違いが歴然としており、観ている側も青学の柱、次世代への継ぐ紡がれる儀を正しく理解し、その重要性と重みを感じることができた。

 

青学のタイブレーク前のやりとりが最高。全員が止める中で大石が送り出しただけかと思われた後の一瞬の静寂の後の河村隆の「手塚ぁ!ビクトリー!」で鳥肌かつ泣ける。駄目押しの「俺に勝っといて負けんな」重たく書かれすぎていなくて、これはこれで良い。

 

EDのYou got game?が流れる瞬間がこれ以上ない。アレンジも素晴らしい。流れ出した瞬間、手塚国光から試合の流れを継いだ顔を合わせた瞬間に越前リョーマの試合が始まり、曲調が変わってプレイがスタートするようだった。素晴らしい歌の使い方。正しいED曲の劇中挿入。

 

EDで流れる越前リョーマが歌うYou got game?がそのままリョーマが試合をしているように感じることができてテンションがあがった。

 

OP各学校のキャラクター集合絵が映り、今回の対戦校氷帝はテニスシーンが映り、漫画で様々なシーンがモノクロで流れ、声が聞こえるのと同時にリョーマに色がつき動く演出が素晴らしい。漫画がアニメ化するとはどういうことかを語らずして表現している。視聴者は、生命の伊吹が吹き込まれ命の色がついた瞬間を目撃する。

 

諏訪部順一氏の跡部景吾が素晴らしかった。何人か「それは新テニの世界の演技だろう」というキャラもいたけれど、跡部景吾は間違いなくテニスの王子様の関東大会青学戦の時の跡部景吾だった。

 

あまりアニメの方が良いと思うことはないのだけれども、河村のエールに頷く手塚は動きのあるアニメだからこそできる演出で良かったと思った部分。これが四天宝寺のS2に繋がるのだと思うと納得する。青学3年生達の真髄はここにある。

 

跡部景吾は進化して今の姿がある。跡部景吾が部長になっていく様子が手塚国光とのこの試合がなぜ跡部景吾のターニングポイントと言われるのか、タイブレーク突入でまずはレギュラーの顔が映り、いわゆる長ゼリフの後に部員の声が聞こえるようになるのが、部長としてお前の覚悟はそんなものかの問いに真正面から答えた跡部景吾になった瞬間を目撃したような演出で感動した。

 

試合終了時と直後の無音演出は映画館でこそ効果をなす。没頭できる幸せ。世界観に引き込まれるのめりこめる環境が整っていることでより引き立つ演出。このアニメを映画館で放映しようと決めた人は素晴らしい。最高の鑑賞体験だ。

 

〈もう少し何とかならないかと思った辺り〉

アニメというよりは漫画のようだった。静止画が連続して映るシーンが多いように感じた。テニラビのシーンカードを連続して観ているような感覚にもなった。漫画のコマをなるべく活かしている作画だったので、そうなったのかもしれない。再現率はかなり高かった。

 

後々の話に影響してくるような伏線が無くなったり、以前の話の伏線回収がなくなったりしていた箇所があったのが残念(千石のJr.選抜、南次郎の存在、不二周助の手塚の幻影、乾と柳の確執など)。

 

桃城のやけに説明口調も気になった。

 

越前リョーマの中に見える侍の幻影が、今回は左利きの侍として描かれていたが、原作では侍は右利きで越前南次郎を匂わせる表現になっている。

 

切原赤也がこの段階の赤也とは違う気がする。柳さんをしたいすぎており、また、詳細に解説しすぎているように見えた。やたらと「副部長」の副を強調したり、「手塚さんに引導渡すのは俺だったのにな」と言ってみたり、もうちょっと傍若無人で自信満々で尊大なはず。

 

話の流れや勢いが変わってしまうような台詞変更は残念。eg.不二「手塚の肘を潰す気だ」正しくは腕

 

跡部景吾の「俺様の美技に酔いな」の前のインサイトポーズは原作通りなのだが、指ぱっちんは余計な脚色だった。

 

欲を言えば、ボールが戻らない!のシーンと最後に手塚と越前の2カ月前コートで言ったことを覚えているかの時にワンカット高架下コートのシーンを挿入してほしかった。

 

高架下の試合後のリョーマと南次郎のやり取りが省略されていたのは残念だった。しかし、1試合だけをとりあげるBEST GAMES!!ではこれが正解なのかもしれない。

 

立海、特に柳蓮二に喋らせすぎて、若干柳蓮二の強キャラ感が薄れていたのが残念。ここはやはり都大会で敗れた山吹中がベストな人選なのでは。特に「強い。全てを超越している」は柳蓮二ではないだろう。

 

トリオやガヤがいう台詞を省略したりレギュラーメンバーに振り分けたりしていたのが、レギュラーキャラクターのキャラクター像がずれてしまっているように見える箇所があったのが残念。うまく当てはまっている箇所もあったが、「そーだウチには跡部部長がいる」を鳳、「きたねーぞ」を省略して不二の「真剣勝負とはこういうものだよ」、「手塚部長が棄権したらどうなるの?」を海堂あたりはあまりいい判断ではなかったように感じる。

 

〈疑問〉

このS1はどこから始まっているのか。オールテニプリミュージアム2017in京都で掲示されていた原稿からするともう一話前のS2終了後の不二周助と芥川慈郎との会話から始まっているのでは。

 

原作漫画にあるいつまでも観ていたいな、このタイブレークのト書きは観ている我々が思うように期待されていたのかもしれない。我々も作品の一部であることを想定されていたのかもしれない。

 

〈雑記〉

パンフレットを買ってよかった。

 

ストーリー序盤に氷帝応援団に向かって跡部が「何俺様が負けるような顔をしてやがる」と呼びかけ、氷帝側の機運をあげるシーンのように、氷帝学園側の演出にいささか氷帝学園側の描写が描き足されすぎている印象を受けたのだが、その疑問はパンフレットの脚本家のインタビューを読んで納得した。

越前リョーマの圧倒的な主人公力の前に打ちのめされた。打ちひしがれた。

この物語の主人公は手塚国光であり、青学の部長副部長を描いているのにもかかわらず、越前リョーマがどこまでも主人公だった。

青学の圧倒的な主人公度合いにライバルたちを観察する難しさ困難さ不可能さに衝撃と絶望にも似た感覚を受けた。

原作漫画テニスの王子様は考えていた以上に主人公:越前リョーマ、主役校:青学の話なのかもしれない。

だから、青学を通さずにはライバル校を観察することはできないし、越前リョーマを介さずに触れることのできるキャラクターは漫画の中にはいないのかもしれない。

青学以外の学校のキャラクター像を読み取るには、ファンブックやその他本編漫画とは別に書かれた越前リョーマのいない世界での情報から読み取り考えるしかないのかもしれない。それは日吉若役岩崎征実氏が日吉のキャラクターデザインの骨格から日吉の声を推測したように。(ラジプリで明かされた話)

でももしかしたら、対戦相手に自分をみているのだ。

跡部景吾もまたこんなにアツい姿の自分は知らなかったのだ。

氷帝学園側のストーリーは読者には分からない。

その氷帝学園側のストーリーを描こうとしたのがこのBEST GAMES!!手塚vs跡部の脚本だったように思えた。

 

キャラクターボイスを担当する声優キャストとキャラクターとの15年、20年の歴史をまざまざと見せつけられたアニメ作品だった。

いつだったかコメディアンの萩本欽一氏はTVについて、TVは一度きりの勝負だから厳しいし難しいのだ。舞台のように明日は、次の公演はここをこんな風に修正しよう。なんていうことができない、というようなことを語っていた。

一度きりの収録だったはずのアニメがリメイクされるとこれほどのものになるのかと圧倒された。

 

鑑賞するにあたって失敗したことがある。

原作に準拠したストーリーになっていると思い込んで原作漫画を読み込んで比べて見てしまったことだ。アニメと原作漫画は別物として楽しんだ方が楽しかった。漫画と読み比べてしまうと違いが気になってしまう。

1回目に失敗したと思い、ただただ圧倒だけされたので、複数回鑑賞をして3回目にして受け入れることができた。

ミュージカルでも同じことをしてがっかりしているのに学習しないな。自分。 

アニメはアニメが表現する『テニスの王子様』であり、ミュージカルはミュージカルが表現する『テニスの王子様』なのである。原作が漫画『テニスの王子様』のアニメ作品であり舞台作品だということを忘れずに鑑賞したい。

本記事の冒頭でも記述したが、動きや声がつくことで、原作漫画の世界をよりスムーズに、より深く理解できるのであれば、それが正しいメディアミックスの使われ方なのかもしれない。

 

今作と2003年に地上波放送されたTVシリーズテニスの王子様は比較されるべき物ではない。リメイクする必要があったから再アニメ化された訳ではないからだ。BEST GAMES!!は『新テニスの王子様』の完全新作アニメーション作品であること他ならない。

 

1度だけ友人と鑑賞したのだが、友人は鑑賞後に「すごいものを観た。感受性を高めてからこの映像を観たら感情の行き場がなくなりそう」述べていた。その感覚はとてもよく分かると思った。そういう感情にダイレクトにヒットするような説明のできなさがテニスの王子様の魅力の一つだから。

 

 

《願望とか》 

贅沢な願望だとはわかっているのだが、できることならば、団体戦一戦ごとにまとめてみたいな。

このS1だけでも十分にアツいのだけれども、やっぱりここまでの4試合を経てさらに熱量を増す試合なのだ。

青学側を見るだけでも、2本柱の3年生である大石秀一郎が試合直前に出場不能となるような右手首の怪我をして2年生の桃城武に「俺を引退させるなよ」と託したD2、2年生の海堂から3年生乾に「まだダブルスでアンタに借りを返してない」とこれから先の戦いで先輩に報いる誓いを立てるD1、この団体戦での負け=引退を口にした上で臨んみ「みんな…全国に行ってくれ!!」と選手生命を賭した河村隆のS3、越前リョーマに対して三種の返し球の三種目を披露してみせたS2の不二周助、その全ての果ての手塚国光が「跡部…悪いが全国へ行かせてもらうぞ!」 と語るS1だ。

そこに積み上がる回想で大和祐大が言う「全国への夢は一瞬たりとも諦めた事はありません」と、左肩を痛めた手塚をそれでも送り出す大石副部長の「大和部長との約束を果たそうとしてるのか?部をまとめて全国へ導くという。がんばれ」がより一層の重みを持ち、手塚国光を奮い立たせる。

これが跡部景吾インサイトをもってしても読み切れなかった手塚国光の青学への想いであり、全国大会での跡部景吾氷帝部長としての選択につながっていく。

さらに、青学の柱を越前リョーマへと繋いでいく男と男の言葉の介在しない継承の儀は、補欠シングルスの試合前の劇的な演出で描かれることになる。

また、この関東大会氷帝戦S1で肩を痛めてなお手塚国光をコートへ送り出す青学校旗は、今後の青学の成長と勝利への貪欲さを駆り立てる象徴(シンボル)となる。

 

関東大会氷帝立海は無印テニプリにおいて最も連載話数の多い団体戦だ。

関東大会氷帝戦は話数にして全36話、関東大会立海戦は全42話。

今回のBEST GAMES!!手塚vs跡部が11話と7P単純に11.5話と仮定し、アニメが45分間(OP含むが計算では含めたままとする)だったので、団体戦を全て映像化すると概算で関東大会氷帝戦が140分間=約2時間20分間、関東大会立海戦が165分間=2時間45分間となる。2時間半の団体戦を描くアニメーション作品2作が観たいと思ってしまう。

 

ここで漫画『テニスの王子様』のたどり着いた答えを考える。

最後に青学の柱を引き継いでおきながら強い者と戦うべく渡米した越前リョーマはどこまでもテニスの王子様であり、テニスそのものにしか志向が向かない"テニスの王子様"たるに相応しい存在なのではないだろうか。

自分の外側から影響を受けることはあれど、決して縛られず、自らの行先を自分の意思で決める象徴。テニスを愛しテニスに愛されたテニスの王子様越前リョーマだ。

テニスの王子様である越前リョーマの世界には、例えそれがどれほどに積み上げられたものだったとしても、努力も友情も勝利も、テニス以外のものは2番手の価値観となりうる。

 

ベストゲームではない試合などない。王子様ではない王子様などいない。 

それでもBEST GAMES!!手塚vs跡部は圧倒的だった。それは、全てであり、それでいて、全体の中の一試合だった。部分であり同時に全部であった。一神教の唱える"究極の世界の法則"は『テニスの王子様』にも現れていた。

 

なぜこうも自分は長年『テニスの王子様』に魅せられ続けるのか、と、ここ数年ずっと考え続けてきた。

理屈抜きに感情にダイレクトに訴える、分析できない熱量や勢いを有する説明のできなさを持つ物語であることもあるだろう。

また、多分それは、ORIKONのインタビュー(2018年8月25日公開

置鮎龍太郎&諏訪部順一が語る『テニスの王子様』の功績 まもなく20周年 | ORICON NEWS)で諏訪部順一氏が答えていたような「『テニスの王子様』って、スポーツ青春ドラマが持つ普遍的な魅力をきちんと備えた物語なんです」というところにもあると思う。

それに加えて、おそらく、物語全体を貫いている信念や思想の"気持ち悪くなさ"があると思っている。

人間の本能や肉体の働きと可能性を否定しないこと。

あらゆる不遇や理由を全て否定したうえで受け入れるという鮮やかさ。

きっとそのあたりが『テニスの王子様』をいつまでも読むことができる、何度読んでも新鮮な発見がある、ストーリーの"古くなさ"をも担っているのではないだろうか。

 

そしてこのようなストーリーを持つ『テニスの王子様』を日々の心の支えとしている状態を『テニスの王子様』を信仰していると表現するのであれば、この信仰の対象である『テニスの王子様』信仰はなんだか仏教と似ているのではないだろうか、と考えている。

 

最後の方の部分はまた記事を変えて考察したい。

嗚呼、テニスの王子様。お前は我が人生の柱だ。

 

※本記事は、記載内容を正しくするために、修正される可能性があります。(2018.9.6 0時50分)