超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

思い出せ、越前 そして俺たちも、思い出せ

原作漫画への多大なる信仰とアニメ声優の声を聞きすぎた影響で長年、ミュージカル『テニスの王子様』(通称:テニミュ)の観劇を避けてきたが、社会人生活も3年目となった夏、収入にも困らなくなったこともあり、ようやくテニミュの観劇を開始した。2017年8月8日3rd season関東大会決勝 青学vs立海公演のことだ。

 

通常テニミュで感じたことは観劇者用アンケートに全て記述している。

劇場で書ききれなかった場合は持ち帰り、後日、郵送する。

それでも、この件はどうしても、どうしても、アンケートではなくブログに書きたくなり、この場で記す。

 

2019年9月29日に大千秋楽を迎えた3rd season全国大会 青学vs立海 前編。

その本編ラストシーンについて、である。

厳密に言えば、四天宝寺による『うちらのハートはパーカッション』の前部分、『思い出せ、越前!』『思い出せ、越前!2』だ。

 

記憶喪失になった主人公:越前リョーマの失われた記憶を桃城武が思い出させてやろうとテニスをするところに海堂薫乾貞治が駆けつけ、歌の終わりには青学レギュラー9人が歌唱する。

 

観劇中に私は自分の体に爪を立てて自らを抱きしめた。

そうしていないと、衝動で叫び出してしまいそうだった。

言葉にならない熱い何かが舞台から襲ってくるようだった。

言語能力では捉えきれないエネルギーの塊のような、焦燥にも似た何かが全身を駆け巡り、生命力がみなぎるような、観劇している自分の身体が命の響きを思い出して暴れだすような感覚に襲われた。

 

その場面はこうだ。

 

桃城が歌う

思い出せ 越前

お前の人生の目的

思い出せ 越前

お前の生きてる意味

そして現れる手塚・河村・不二。

それもそれぞれがここまで最も痛みを伴った試合を彷彿させる姿で現れる。

手塚はvs跡部、河村はvs石田、不二はvs白石を思い出させる様に舞台に出てくる。

 

さらに間髪入れずに歌は続く。

 

今度は桃城だけではない。リョーマ以外の青学レギュラーがリョーマに向かって歌い掛ける。

テニスは俺らの全てじゃないか

俺たちはテニスで繋がる仲間

テニスにかけたあの日々を

テニスに委ねた熱い命を

思い出せ 越前

 

まるで"人生とはテニスだ"とと訴えるかのような青学の姿に私の精神も身体も震える。

生命の拍動を強く感じるのだ。

 

生きるとはテニスをすること。テニスをすることは生きることだ。

そうして生きてきた日々が今のお前を作っているんだろう。

それを忘れるな。否定するな。思い出せ。

お前のテニスを人生を思い出せ。

そのテニスで、テニスで勝ちたい、その思いの元に一丸となって戦った日々を思い出せ。

俺たちがテニスをしてきた日々を、テニスで勝つために費やした日々を、生きてきた日々を、そうして培われた絆を、思い出せ。

青学テニス部はテニスが繋いだ、テニスただそれのみで繋がれた仲間じゃないか。

テニス以外のことは何一つ俺たちを繋がない。

だから、テニスを思い出せ。

俺たちもお前とテニスで戦ってきた日々を今、思い出している。

 

そうだ。

この様子を観て、観客もまた、ここまでの『テニスの王子様』のテニスを、物語を思い出すのだ。

今までの彼らの戦いを、生き様を思い出す。

 

だから、この「思い出せ、越前」の問いかけにテニスを思い出すのは越前リョーマ一人ではない。

その場にいる青学も、観客も含めた全員が、"テニス"を思い出すのだ。

テニスに捧げた命を、日々を、人生を思い出す。

 

ここは原作漫画でいえば41巻Genius369 リョーマに繋げ

竜崎スミレ「そう言えば お前達が ピンチの時ー 常にリョーマがきっかけになっりよったわい」

前後のシーンに呼応するのだろう。

 

それが、この3rd season全国大会 青学vs立海 前編という舞台のクライマックスとして最高潮に盛り上げる。

 

このミュージカルシーンは「テニスは俺らの全てじゃないか」と青学が全員が歌う姿こそが正に青学だ。

テニス以外では繋がらないのが青学テニス部だ。

それであるが故にテニスは彼らの"全て"になる。

そうだ。『テニスの王子様』の主人公校の青春学園中等部男子テニス部にとってはテニスが全てなのだ。

 

 

だから観劇した私は震えた。

テニスの王子様』が描くテニスと人生の繋がりを、全国優勝を掻っ攫っていく青学の姿を、熱く熱くそして正しく表現してみせる舞台に。

 

 

青学は一人一人がそこまで強いキャラクターではない。

一人一人の強さならばもっと強い選手を抱えた学校のテニス部はある。

現に全国大会決勝戦の対戦相手である立海は、手塚が7人+神の子幸村精市だ。

だが、青学は"何やらかすか 分からない"(Genius177窮地 忍足侑士のセリフより)。青学(アイツ)らは 窮地に立たされ ピンチになれば なる程 強く そして試合の中で どいつも進化していきやがる"(同話 向日岳人のセリフより)。

また、手塚が関東大会初戦S1跡部戦で青学テニス部の柱として青学のために身を賭して戦ったように、関東大会決勝S3で乾貞治が青学の団体戦に「でも この試合は 落とすわけにはいかない‼︎」と勝利したように、全国大会準決勝S3で不二周助が「このチームを全国優勝へ それが僕の願い‼︎」と吠えたように、同団体戦S2で河村隆が青学3年生の同期への思いで戦い続けたように、青学はチームでコートに立つ選手を奮い立たせる。

「テニスは俺らの全てじゃないか」と青学全員が円形となり中心にいる青学の仲間である越前リョーマへ訴える姿。

一人一人では相手の方が強いかもしれない。でも青学はコートに立つのは一人でも一人で戦うのではない。

「みんながいたから ここにいる きっと ずっと ともに走ろう」と謳うのはキャラソン青学オールスターズのTricoloreだ。

9人が揃った時のエネルギーがあるから、9人がいるから、強くなる。

それが、ここまでの『テニスの王子様』の物語を紡いできた青学の姿なのである。

 

 

さて、物語は後編へ続く。

こうして越前リョーマを通してみんなが全員が思い出した過去の対戦の全て。生きてきた全て。

この今までの『テニスの王子様』の全てを身体に宿した越前リョーマが最終決戦にて対戦する相手は幸村精市だ。

幸村精市はこの全てを"どんな技も 誰の技も 通用しない"という形で否定してみせる。

過去の全否定をしてみせるテニスプレイヤー幸村精市のラスボスとしての相応しさは筆舌に尽くしがたい。

これほどまでに絶望的な方法があるだろうか。

全員が思い出だしてパワーに変えた今までを一人で一蹴する。

 

その絶望の先の希望に辿り着くのは、その先の、『テニスの王子様』という物語の結末だ。みんなが戦ってきた答えが出る。

 

原作漫画『テニスの王子様』とミュージカル『テニスの王子様』は似て非なるものだという思いがある。原作漫画テニスの王子様の魅力を舞台作品として魅せるのがミュージカル『テニスの王子様』であろう。

だから、原作漫画とは異なる脚色もある。

一方で、舞台作品、ミュージカルだからこそだせる魅力もある。

原作のメッセージを舞台作品として観客に効果的に訴える。

 

青学vs立海 後編は2019年12月19日に初日を迎える。

我々も越前リョーマと同じように。

思い出せ、テニスを。

教えてもらおう、テニスを。

一つの答えが出るその瞬間のために。

 

ミュージカル『テニスの王子様』3rd seasonの物語が完成する刻も近い。