テニスの王子様と出会った時のことを今でも覚えている。
それはそれは鮮明に。
小学4年生の時だった。
漫画が流行り始めたその頃、教育実習に来ていた大学生の先生から単行本を借りたのだ。あまりの面白さに感動してすぐに全巻揃えた。ちょうど10.5巻と11巻が出版される頃だった。2001年の頃である。
それから17年間。中高生の頃は週刊少年ジャンプを毎週号購読した。少年漫画が好きで、特にジャンプ漫画が好きで当時流行っていた様々な漫画を読んだ。面白いと思った読み切りは本誌から切り離して保管したこともあった。
ただ、今も変わらずに読み続けいている漫画はテニスの王子様だけだ。
なぜテニスの王子様なのか。
極限まで削られた表現の美学を感じている。
語られない言葉。描かれない表情。感じるしかないシーンの数々。
そこから何を読み取るのかは読者次第になっている。
明確な言葉で考えを述べれば、分かりやすく伝わりやすい。作者の意図はより正確に伝わる。問いかけも明確であればあるほど、啓蒙につながりやすい。
だが、分かりやすさとは、即ち、消費されやすさなのだ。
テニスの王子様は消費されない。
読むたびに新たな気づきがある。
今まで気がつかなかった訴えに目がさめる瞬間がある。
そこが私の思うテニスの王子様の最大の魅力である。
漫画の1ページ1ページから何を感じるのか、読み取るのか、そして気づくのか。秘められた答を読み取れるかどうかは読者次第なのだ。
王子様達が試合を通して放つエネルギーが何を伝えようとしているのか。
私は、そこに無限の可能性を見ている。
これから書いていく本稿の考察に用いた視点は、私がtwitterやPixivといったSNSから得た情報に多分に影響を受けている点をお許しいただきたい。
考察文章の執筆を勧めてくれた友人2人には感謝の言葉以外に伝えることが思い当たらない。夜遅くまでオタク思考全開の私の考察に付き合ってくれた恩は一生涯忘れない。
本稿を同好の士に捧ぐ。
テニスの王子様が人生哲学として読み継がれるべき作品であると伝わればこれ以上ない喜びである。
テニスの王子様が1人でも多くの人の人生を後押ししてくれますように。
@都内某所 自宅にて
※本稿は全くの個人的な見解であり、全ての公式とは一切の関係がありません※