少年漫画であることの重要性
『テニスの王子様』は少年漫画である。
小中高校生を読者層として想定された漫画だ。
努力・友情・勝利の三原則に基づいたファンタジーのエンターテインメントとして、ただ純粋に楽しみ、深い問いを考えることなく、読むことができる漫画なのだ。
つまり、『テニスの王子様』が発する人生への問いかけは、明文化されたメッセージでは無い。
原作漫画が有するオーラ、エネルギーを感じて気がつく物だ。
圧倒的スピード感や紙面が発する勢いから読者が"結果として"受け取るメッセージである。
このことは、テニプリ原作漫画の読み方に多様性をもたらしている。
アニメとミュージカルも同様である。
キャラクターを演じる役者がいることによる生身の人間って加わったキャラクターのパワーを感じている感覚に気を向け、作品のメッセージを受け取ることもできれば、純粋なエンターテインメントとして、勢いや演出、ストーリーの楽しさを味わうこともできる。
Don't think, feel.の世界から何か感じる物がある。人生で大切なテーマを受け取っている。その感覚だけで十分な漫画である。
『テニスの王子様』は、紛れもない少年漫画であり、そのことがテニプリ世界においてのエンターテインメント性を増大させる、読者(ファン)を楽しませる重要なポイントの一つなのである。
深く解釈する面白さ、ファンタジーとしての面白さ、この2つの両立は、テニプリが魅力的である所以であり、読者(ファン)の心を捉えて離さない点でもある。
※余談だが、キリスト教の教典:聖書は、キリスト教が広まった古代ギリシャ〜中世にあって、"物語としての面白さ"が人を惹きつけ、読者を増やし、ひいては布教につながった側面があり、また、日本における鎌倉時代に仏教が民衆に広く広まったのは、仏教の教えや念仏を歌や踊りというエンターテインメント性のある行為と結びつけ、御釈迦様の教えを民衆でも簡易で理解しやすい物に置き換えたことが要因であるとも言われている。何かが人の心に浸透するのには、教えのありがたさや深さだけではなく、面白さや親しみやすさも必要な要素となるのは、このことからも伺えるのではないだろうか。