超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

閑話_テニプリが促した現実理解

至極、個人的な経験の話。

私自身の個人的な経験に基づく話です。

 

私はテニスの王子様に出会って宗教信仰について理解した。

実感を伴った共感の次元での理解をしたのである。

 

というよりは、テニスの王子様に触れる自分自身を見つめ、自分の感情を認め、考えを整理する中で、宗教を信仰するとは、宗教間や宗派間による主義主張の違いとは、こういうことなのかということに気がついた。

 

原作こそが全てだと思う自分を知った時、原理主義を理解した。

 

旧テニスと新テニの読者層の違いでユダヤ教キリスト教の違いを理解した。

 

二次創作物や著作権にまつわるいざこざを見て偶像崇拝禁止を理解した。

 

テニプリっていいな」と口に出すようになって祈りの言葉や念仏の効果を理解した。

 

アニプリテニミュからテニスの王子様を好きになる層がいることを知って分かりやすさの必要性を理解した。

 

各キャラクターの好き嫌いを覚えたり、とてつもなく好きなキャラクター(いわゆる激推し)ができた時、宗派の違いを理解した。

 

テニプリから得られる楽しさや喜びを誰かと共有したいという思いから布教活動の必要性を理解した。

 

そして何より、たとえ同じくテニスの王子様にハマっていたとしても、主義主張の違う他人に対して排他的な感情を抱くことがあるということに気がついた時、宗教戦争が生じる現実を理解した。

 

これは、私個人の気づきであり、一人の人間の経験に過ぎないものの、こうやって一人の人間が宗教について実感を伴う理解を得たという事実こそが、テニスの王子様がその読者に対して宗教的役割を担うことができることを示唆していると言えるだろう。

 

一般的に日本人が疎い、自覚が薄いといわれる宗教について「知っている」ではない「分かる」という理解ができたのは、手触りのないどこか遠い場所での出来事ではなく、実感のある現実として物事を捉えることができるようになったということであり、これは精神性を持ち、共感を求める人間として生きている上では、とても大きいことだと思う。

そいういう点においても、私は、テニス王子様と新テニスの王子様には感謝しているのだ。私の現実世界の理解を広げてくれてありがとう。そう思っている。

 

原作漫画を読み解く_無印で語られる具体テーマ

ここからは、原作漫画の具体的な解釈をしたいと思う。

もちろんテニスの王子様はその全体で人生への圧倒的肯定感を伝えているのだが、個々のストーリーやキャラクターを見ていくと細かくそれぞれに生きるテーマが与えられている。

 

テニスの王子様』では、人が生きていく上で必ず向き合う様々な"人生の壁(課題)"を主人公:越前リョーマとその所属校:青春学園中等部(以下、略称の青学(せいがく)と記載)に乗り越えさせるべく、地区大会から全国大会までの試合の対戦校が青学の前に持って来るストーリー構成となっている。

青学の選手達は、ストーリー全体を通して各対戦校が持って来た"人生の壁"と対峙し、克服することで次のステージ、すなわち、次の試合へと駒を進めていく。

 

以下、無印『テニスの王子様』で各対戦校が連れてくる課題を箇条書きで並べる。

地区大会 

 不動峰…驕り

都大会

 聖ルドルフ…シナリオ(不測の事態)

 銀華…準備

 山吹…勇気・意地

関東大会

 氷帝…チーム・仲間

 緑山…家族

 六角…プレッシャー

 立海…挑戦

全国大会

 比嘉…誠実

 氷帝…情熱

 四天宝寺…目には目を歯には歯を

 立海…愛

 

また、補足として上記以外の試合については、"人生の課題とその克服"を描くということよりは、その前段階としての布石の役割を担っていると読めるだろう。

例えば、青学ランキング戦は自己紹介及び仲間の相互理解の場(関東大会前のランキング戦は実力のアップデートの提示の効果をもつ)、玉林戦や柿ノ木中との絡みは青学の選手の相対化をしている。

 

最終決戦となる全国大会決勝の立海大附属中がもたらす"愛"のテーマを戦いきり勝利した先に「テニスって楽しいじゃん」=生きるって楽しいじゃんとなり得る人生のへの圧倒的肯定感、人生への愛を手にした境地にたどり着いている。

 

また、『新テニスの王子様』でも同様に"人生の課題とその克服"を描いてはいるが、未だ完結していないため、個別読解は難しい。

ただし、新は無印に対するアンチテーゼとして始まり、大きくは「人生は"愛"こそが最強なのか?」という疑問を問いかけ、その疑問への答えを模索し、見つけるまでを描いているように読める。

テニプリっていいな

テニプリっていいな」

この言葉がファン感情の全てなのだ。

テニプリ=『テニスの王子様』『新テニスの王子様』への感動や感謝を表し、今後への期待を乗せ、これからも愛し続けることを誓う言葉なのだ。さらに、この言葉を唱えることは、テニプリの圧倒的前向きなエネルギーを再認識し、自らを勇気づけることもできる。

まるで創唱宗教の祈りの言葉のようでもある。

ファンを信者とするのであれば、仏教とにとっての「南無阿弥陀仏キリスト者にとっての「Amen」などと似たような言葉だろう。

 

原作者許斐剛先生の楽曲タイトルにもなっている「テニプリっていいな」。

この楽曲の歌詞は「テニプリっていいな 僕の全てさ」と始まるが、ファンにとってもテニプリは"全て"だ。

 

その感情を一言にのせようとすると「テニプリっていいな」の一言しか出てこなくなる。

 

この様に、なんとも言い表しきれない感情が生まれ、それほどの高揚感を味わえるコンテンツがテニスの王子様である。

 

テニフェスなどのイベントで、We Love TENIPURIの曲に乗せて、多くのファンと一緒に声を揃えて「テニプリっていいな」と口に出す毎にテニプリを愛する気持ちが深まり、その気持ちを共有している幸せを噛みしめることができる。

そんな力を持つ言葉が「テニプリっていいな」である。

 

テニプリへの思いを常に新たにし、深めることで、引き続き読者(ファン)も読者(ファン)としての勤めを果たし(原作を読む、グッズを買う、アニメを観る等の消費者として経済的貢献をする行為)、これからのテニプリを守っていこうと心に誓うのだ。そして、原作者を始めとした公式の組織の側も、継続的な漫画の連載だけではなく、定期的なグッズやCD販売、新規イベントの実施などコンテンツを"守らせてくれる"ようになっている。

 

 

これまで語ってきたように、『テニスの王子様』『新テニスの王子様』は、"広く大衆に馴染む漫画"というよりは、"ハマった人が心から心酔できる漫画"なのである。

自分の人生の支えになる、そんな漫画・コンテンツがテニスの王子様だ。

 

多様性の可能性

漫画、アニメ、ミュージカルの公式3コンテンツのいずれもその作品が発するエネルギーによって"人生への圧倒的肯定感"を受け手に授ける『テニスの王子様』だが、これは、キャラクターの圧倒的多様性が可能にした現象だと思われる。

いわゆる「ダイバーシティ経営」と同じことがテニプリには生じている。

つまり、『テニスの王子様』『新テニスの王子様』は、原作者である許斐剛先生が一から隅々まで全てを想定し、緻密な計算のうえに描かれた漫画ではなく、まるで1人の現実の人間のようなリアリティーを感じさせるレベルまで細部まで作り込まれたキャラクター達を圧倒的大人数で登場、躍動させることで、決して1人の人間が想定するだけでは到達できない思想やパワーを持つことができるようになっている状態である。

テニプリには約200人のリアルな設定を持つキャラクターが描かれており、それは、200人の多様な人々で、しかもその1人1人が中心人物の"大切な考え"を共有し活躍できる状態、企業(団体)を経営し、動かしている状態に非常に似ている。

テニプリキャラクターの"リアルさ"は、細部まで作り込まれたキャラクター設定(身長、体重、血液型、足の大きさ、家族構成の他、通学鞄の中身、自宅の部屋レイアウト、おこづかいの使い途など)と、声優とミュージカルキャストという現実の人間がキャラクターを演じ担い続けることで、かなり高度な現実味を帯びている。特にミュージカルキャストは、テニミュが『テニスの王子様』1〜42巻の内容をシーズンの括りにして何度も繰り返し公演し、その度にリアリティのある年代の演者を再キャスティングしていることから、常に全てのキャラクターに生身の人間の現実味やエネルギーを注ぎ続ける役割を果たしているだろう。

原作者許斐先生が作り出しているという点において、全てのキャラクターは許斐先生が大切にしている思想を共有しているが、その一方で、原作者も想定していない動きをする程に人格や主張を有している。事実、許斐先生はラジオ番組で「試合を書き始めた時に想定していた試合結果とは違う勝敗になった試合がいくつかある。それぞれのキャラクターの考えを拾い、動かしていく内に、最初の自分の想定とは違った動きをしていた。それが試合結果を動かした。」と語ったこともある程だ。

根幹の"想い"を共有した多様な人々が一つの物を作り上げることで、1人の人間では到底到達できない領域への到達が可能になる。それが、テニプリを、読者に"人生への圧倒的肯定感"というメッセージを受け取らせ、日々の人生の糧となり、王子様達を支えとして歩む生き方を提供する程に影響力のあるコンテンツと成らしめている一つの要因であるだろう。

閑話_日常に馴染むテニプリ

論考するほどでもないけれど、語りたい話題、その2。

 

テニプリファンは日常生活にテニプリが浸透していることを、日常で使う言葉の観点から見てみたい。

 

さて、NHK EテレSWITCHインタビュー 達人達(たち)「緒方恵美×西野亮廣」2018年3月17日放送回において西野氏が「社会的な生活をしている人間は朝起きてから寝るまでに必ず"お金"を使う。広く人々の意識に浸透するエンターテインメントを創作したければ、通貨を作れば、数多くの人の日常生活にアクセスできるようになるから強い。」というようなことを語っていた。

テニミュを観始めた人が「1テニミュ」という単位を使い始める。

テニミュ1回の観劇料が6,000円であることに由来するものであり、9,000円は1.5テニミュ、12,000円は2テニミュ、と数える。

とりわけ複数回テニミュを観るファン達はこの「1テニミュ」の単位を他のエンターテインメント(劇、コンサートなど)の他、日常の買い物である雑貨や洋服の値段にも適用し、購買意欲の計算をするようになっている。

この感覚は、最早ほぼ通貨なのではないだろうか。

テニミュを観るテニプリファンは、テニミュというテニプリ公式媒体が通貨になるほど日常生活に浸透しているのではないか。

そして、前述のTV番組の言葉を借りるのであれば、テニプリはエンターテインメントとしてかなり強い存在になっていると見受けられるだろう。

 

また、テニプリには数々の名台詞があり、その台詞は日常会話で使っても違和感が無く、ファン同士の会話や、ファンの発言では度々使用している様子がみられる。

2018年3月1日には、公式LINEスタンプが発売された。

その際、ジャンプSQ.編集部のTwitter公式アカウントには、現『新テニスの王子様』の編集担当者である小川氏より以下呟きが発信された。

「ついに『テニスの王子様』公式LINEスタンプが解禁されました!週刊少年ジャンプ創刊50周年を記念したキャラクタースタンプ。改めて見ると、テニプリは名セリフが多いですね…!日々の連絡がきっと盛り上がると思うので、是非使ってみてください。日曜日はもちろんあの一言を♪/小川」

全40種のスタンプの内、実に34種(85%)がキャラクターが作中で使っている台詞であるにも関わらず、LINEスタンプという現実の会話で使えるほど汎用性が高い。

テニプリの言葉は現実世界で"生きる言葉"となり、人々の意識に浸透している。

少年漫画であることの重要性

テニスの王子様』は少年漫画である。

小中高校生を読者層として想定された漫画だ。

努力・友情・勝利の三原則に基づいたファンタジーのエンターテインメントとして、ただ純粋に楽しみ、深い問いを考えることなく、読むことができる漫画なのだ。

つまり、『テニスの王子様』が発する人生への問いかけは、明文化されたメッセージでは無い。

原作漫画が有するオーラ、エネルギーを感じて気がつく物だ。

圧倒的スピード感や紙面が発する勢いから読者が"結果として"受け取るメッセージである。

このことは、テニプリ原作漫画の読み方に多様性をもたらしている。

アニメとミュージカルも同様である。

キャラクターを演じる役者がいることによる生身の人間って加わったキャラクターのパワーを感じている感覚に気を向け、作品のメッセージを受け取ることもできれば、純粋なエンターテインメントとして、勢いや演出、ストーリーの楽しさを味わうこともできる。

Don't think, feel.の世界から何か感じる物がある。人生で大切なテーマを受け取っている。その感覚だけで十分な漫画である。

テニスの王子様』は、紛れもない少年漫画であり、そのことがテニプリ世界においてのエンターテインメント性を増大させる、読者(ファン)を楽しませる重要なポイントの一つなのである。

深く解釈する面白さ、ファンタジーとしての面白さ、この2つの両立は、テニプリが魅力的である所以であり、読者(ファン)の心を捉えて離さない点でもある。

 

※余談だが、キリスト教の教典:聖書は、キリスト教が広まった古代ギリシャ〜中世にあって、"物語としての面白さ"が人を惹きつけ、読者を増やし、ひいては布教につながった側面があり、また、日本における鎌倉時代に仏教が民衆に広く広まったのは、仏教の教えや念仏を歌や踊りというエンターテインメント性のある行為と結びつけ、御釈迦様の教えを民衆でも簡易で理解しやすい物に置き換えたことが要因であるとも言われている。何かが人の心に浸透するのには、教えのありがたさや深さだけではなく、面白さや親しみやすさも必要な要素となるのは、このことからも伺えるのではないだろうか。

 

人生に寄り添う存在としての王子様達

テニプリキャラクター、ストーリーは読者の人生に寄り添う/隣を歩いてくれる存在である。

そんな人生に寄り添うテニプリは、読者自身の人生ステージが変わると、好きなキャラクターやストーリーの読み方が変わることがある。

 

長年テニプリ読者(アニメ視聴者、ミュージカル観劇者)を続けていると、約20年間、テニプリに親しんでいることになる。

20年間というと、小学生は30歳前後(アラサー)になり、高校生は40歳目前となる歳月だ。

これだけの時が経つと、読者の人生ステージにも変化が訪れており、直面している悩みや困難、心が動く要素にも変化が生じている部分があるだろう。

テニプリは、そのキャラクター数の多さから、"必ず好きになるキャラクターが見つかる"と言われるほど、読者その人それぞれのパーソナリティーに合うキャラクター居る可能性が高い。

人間のパーソナリティーというのは、人それぞれの多様性の他、一人の人が年齢を重ねて変化する一人の人間のパーソナリティーの多様性もある(もちろん、一人の人のパーソナリティーに関しては年月を経てもずっと変わらない部分もある)。

年齢を重ね、幼かった/若かった頃の課題を乗り越え、その頃にはシンパシーを感じていた事や物は、過去の物となり懐かしさの対象となり、リアルな共感ではなくなることもある。

そんな時でもテニプリは、現実の息遣いを感じるほど詳細に設定が授けられている数多のキャラクターがそれぞれの人生を生き、その瞬間が描かれているため、読者自身が年齢を重ねて変わった感覚を持ってテニプリに触れると、幼かった/若かった頃とは違うキャラクターに魅力を感じることができるのだ。

このテニプリにおける"好きな/共感を覚えるキャラクターが変わる"という現象は、人生の年月が過ぎるだけで起こることでもない。

実は「テニミュは観る度に好きなキャラクターが変化する」と言われることがある。

これは、ミュージカルでは、生身の人間のエネルギーを発する役者によって、より強くそれぞれの王子様のパワーが伝わってくるため、観劇したその時々の心境が影響するからではないかと考えられる。

 

また、この人生ステージや心境によっての好き/共感キャラクターの変化は、いわゆる"キャラクター漫画"と呼ばれる『テニスの王子様』『新テニスの王子様』においては、原作漫画の読み方や解釈の変化にも直結している。

 

テニプリは年齢を重ねても面白いのだ。

時の流れが存在する生の人の人生に添う物語。まさしく人生に寄り添う存在である。