超解釈テニスの王子様  人生哲学としてのテニプリ(namimashimashiのブログ)

人生への圧倒的肯定を描き出す『テニスの王子様』と、その続編『新テニスの王子様』についての個人的な考察を綴ります。 出版社および原作者など全ての公式とは一切の関係はありません。全ては一読者の勝手で個人的な趣味嗜好です。 Twitterアカウント:@namimashimashi

宗教性_「神」

宗教的側面について具体的に見ていこう。

宗教の定義とされる三要素に当てはまる現象があるのかどうか、読者(ファン)の立場に立って考えたい。

 

1.「神」

言わずもがな、原作者、ハッピーメディアクリエイター時々漫画家の許斐剛先生がこの作品における「神」だと言えるだろう。

テニスの王子様」の世界において、その世界を無限に作り広げることができるのは、原作者、唯一人なのである。原作者は、現実世界の人間にとっての「神」存在のように、テニスの王子様界隈において、読者(=人間)の願望を実現させることはもちろん、メディアミックスによる不遇を受けた時の読者の心の支えとして必要とされ、長年の連載や数多くの公式コンテンツの発案監修を務めることで畏れの対象にもなる。

このように「テニスの王子様」のコンテンツに関わる目線に立つと、唯一神信仰になるのだが、作品中の世界に目を向けると、作中に登場する数多くのキャラクター一人一人が全て神となる多神信仰と読むこともできるだろう。

テニプリのキャラクターは、一人一人が細かく設定され、それぞれの人生ストーリーとそこから生まれる人生哲学を持っている。

それぞれのキャラクターを尊び、一人一人に感動を覚え、読者それぞれに共鳴するキャラクターがいるのは、まさしく日本古事記ギリシャ神話、インド神話のような八百万の神々を信仰しているとみることができるのではないだろうか。

 

余談だが、信仰するという行為を幅広い意味で捉えると、信仰とは人間に価値を与え、忠誠をもたらすものなのである。

その意味において、テニスの王子様を没入的に読んだ読者には「信仰」が生じる。

すなわち、「テニスって楽しいじゃん(=人生への圧倒的肯定)」という価値観を知り、その圧倒的光の世界に喜びを覚え、神(=原作者)による絶え間ないコンテンツ供給を受け取り続けるという漫画読者もといコンテンツ消費者として忠誠心ある行動をとるようになっている。(バレンタインチョコレート獲得ランキングや応募者全員クラスメート企画という公式が読者からの想いを受け取る企画もこの文脈では"コンテンツ供給"の一つとする。)