同調圧力を無効化したい
2020年5月4日(月)0:00に先行配信された 種ヶ島修二「閃きCHAY BOY☆」 遠野篤京「Bloody Dance」を聞きながら『新テニスの王子様』17〜19巻を読みながら、改めて思ったことを徒然と書きます。
『テニスの王子様』『新テニスの王子様』の最強さを抽象化した時、それは同調圧力への耐性である一面もあるかもな。と思った。
まずはじめにテニプリシリーズに限らないことについて書きます。
実はSFバトル漫画に比べてスポーツ漫画の方が強さこそ正義の価値観を採用しているんだろうな、と思っている。
スポーツ漫画は勝つことが至上命題だし、勝つためには強くなくてはならない。
まぁ、強い奴が必ず勝つとは限らない、という変則球もあるけど、そこは十分条件と必要条件の必要十分条件にはならない部分ということで許してほしい。
もちろん勝たなくても成り立つスポーツ漫画もあるけど、そもそも勝ちたくて挑むんでしょ、から逃れられないのは圧倒的にスポーツ漫画の方だ。
その点から考えると、ドラゴンボールはバトル漫画の面を被ったスポーツ漫画だと思っていて、
・死者の生き返り=敗者復活
・わかりやすい強さ一辺主義
あたりはスポーツ漫画のそれに見える。
あと、弟/妹のために~とか、◯◯◯を取り返すために~とか、◯◯になるために~みたいな強くなりたい理由がなくて、強くなりたいから強くなりたい。
天下一武闘会で勝ちたいから強くなりたい。
スポーツ漫画でいうところの大会で勝ち上がりたい仕組みと対して変わらないな。と。
やっぱりドラゴンボールはすごい。SFバトルとスポーツと二大王道少年漫画ジャンルをどっちも含有してしまっている。
閑話休題。
私は、無印の『テニスの王子様』に比べて『新テニスの王子様』の方が話として強いなと感じている。
新は、「これが俺の生きる道」を持って戦わせていて、大体がプライドvsプライド状態。特に15巻以降の世界大会編になってからは全試合ほぼこれ。
自分の信条が定まった奴ら同士の見せつけ合いとぶつかり合いなので揺らぎが少なくて強い。
そもそも強いっていうやつ。
無印『テニスの王子様』は”最初から強い “価値観を少年漫画に持ち込んだ漫画で、新テニの主人公だけではなくて”最初からみんな強い”は無印の上位互換、無印は新の序章として取り扱うことができても納得できる。というか、今度はそうきたか。という感覚。
だからというわけでもないけれど、新では主人公越前リョーマに影響を受けるキャラクターが少ないような印象を受ける。
リョーマに対峙しても自分が揺らがない奴らが多い。特に高校生と海外勢。
23.5巻の許斐剛インタビューで先生が会心の出来だと語っていたプレW杯ドイツ戦3試合目の徳川がラケットを飛ばされて越前リョーマと対峙するシーンなんかは割と象徴的だと思っていて、徳川の「邪魔をするな越前リョーマ」とあの場面で力強く一蹴できるキャラクターは無印では描けなかったのではないかと思ったりもする。
ちなみに、話として強い、というのは、弱い奴が出てこない/全員強いというのに近い。
強者と強者が勝ちを求めて戦っている話。
抽象化すると、ブレが少ない。一本筋通った基軸への精神面での迷いや揺らぎが小さい。
それを成り立たせているのは一度話が綺麗に完結している面が大きい。誰もが納得してしまう立ち返ることができる場所を確立させている。そこもやっぱり強い。
『新テニスの王子様』は無印に比べてより群像劇感が高い。
テニスの王子様シリーズの価値観は割と現実的で残酷で、ちゃんと、努力だけだと才能や環境に恵まれた奴らには敵わないようにできていたりもする。
ただあの話がファンタジーとして成り立っていたり、それでいて読者のメンタルをこてんぱんにやっつけたりしないのは、敵わなくても構わない価値観が同時に存在するからなんだと思っている。(まぁ、その残酷さに気がつくと打ちのめされたりもすることは否定しないけど。)
テニスの王子様でも新テニスの王子様でも共通で強いキャラクターは何かしらのGiftedがあるケースがほとんど。
つきつめると要するに
・身体能力が異常に高い
・運動神経がやたらと発達している
・すさまじく器用
・超賢い
など割と現実的なそりゃ強いだろ要素に収まったりする。
作品特有の世界観と基準において強いみたいなのがほぼない。(イリュージョンだけはちょっと特殊な気がするけど。コピーと物真似は前述の範囲内なんだけどな。)
そのGifted達に対峙せざるをえない世界の中でやりたいことをやり続けるためにはどうすればいいのか。を各自突き詰めているのが新テニスの王子様だなと。
テニスの王子様世界におけるこのやりたいことが「テニスをやること」になっている。
結局、じゃあ自分には何ができるか?何があるか?諦めたくないならどうする?に自分の意思でどこまで付き合えるか。が問われているんだな、と。
そのメッセージがとても強くて、
無印だと檀太一、新だとオリバー・フィリップスへの越前リョーマの発言が分かりやすいけど、他者基準で物事を考えるなよ
諦める/捨てるならその選択をするのは他人じゃなくて自分だぞ
と言われてる、と漫画を読み続けると感じる。
他者基準で物事を考えない、というのは、自分の人生に自分で責任を持ち続ける覚悟が必要なので残酷だけど、同調圧力で押し潰されそうな時はこれ以上ない心強さにもなる。
自分の感覚を自分で否定しなくていいんじゃない?って言ってくれることが力になる時って人生であるよなぁ。そういうのを求めている心境の時にテニプリシリーズに触れると元気や勇気が出るのは分かる。
Dear Prince~テニスの王子様達へ~の「キミが勝てるまで 見ててあげるから」ってそいういう意味なのかなぁ。と。
この辺りを越前リョーマのあの「いいんじゃない?」みたいな決めつけない、相手に委ねて、自分は自分のスタイルを貫く主人公が魅せるっていうのも極上のバランス感覚。
日吉若とか切原赤也とかの2年生キャラにいがちで、他にも遠山金太郎とか遠野篤京とかがそういうマインドだと思うけど「敵わないものにどこまでも挑み続けることができる」精神は眩しい。
この精神も一つの答えなのだと扱われているんだな。
負けても挑み続けられるって強いなぁ、すごいな。と私なんかは目が眩んでしまうけど。
自由にテニスを楽しんだもん勝ち。
それは実際に勝ち負けじゃなくて、自分のマインドにおける勝ち。
誰の騒音にも耳を貸すことなくて、楽しいと思った、好きだと思った、その自分の感情はいつだって本物だと信じ続ける強さがほしい。
それが「テニス」に落ちてくると「テニスって楽しいじゃん」になるんだろうなぁと解釈している。
そういう漫画だから好きだったりするし、もう部活とか青春とかじゃなくなった人生のフェーズでも自分の人生で気持ちを奮い立たせたくなった時に読みたくなるんだと思っている。
『新テニスの王子様』で様々な生き様を見ることができることが、好きだ。
強くて、好きだ。
=冒頭で触れた楽曲について===
2曲とも原作漫画の展開を巧みに表現している仕上がりです。
ぜひ視聴だけでも。できればご購入を。1曲¥255です。
種ヶ島修二「閃きCHAY BOY☆」:https://www.feelmee.jp/index.php/item/product/1285
遠野篤京「Bloody Dance」:https://www.feelmee.jp/index.php/item/product/1288
(2020/5/7追記)歌詞は以下Webサイトに掲載
種ヶ島修二「閃きCHAY BOY☆」:
閃きCHAY BOY☆ 種ヶ島修二 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索
遠野篤京「Bloody Dance」:
Bloody Dance 遠野篤京 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索
そして、ぜひ曲を聞きながら、遠野の方はGolden age188〜191、種ヶ島の方はGolden age192〜 194、そして2人共通してGolden age233・241を読んでください。
漫画『新テニスの王子様』は少年ジャンプ+(アプリ版/ブラウザ版有り)で1話¥30〜読むことができます。
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